スピリチュアリズム勉強会&座談会
('01.11.18作成)

第6回('01年10月21日)
「シルバーバーチは語る」4章-明日の世界

その1


 

参加者:有希、長田、ペーパーバーチ

有希:今日は第4章ですね。非常に短いですけど中身は濃いと思います。
まず最初にP66の真中あたりですが、

しかし間違いなく言えることは、その新しい世界の種子がすでに地上界に根づいているということです。(P.66)

最初、この“新しい世界の種子”って何だろうと思いました。

長田:私はもう少し先のP69の10行目の

その新しい世界をどのような用語で呼んでも構いません。要するに大霊の意思に適った世界の成就----大霊の霊力はもとより、新しいタイプの喜び、新しいタイプの人生、新しいタイプの幸せを求める誠心誠意の人間の貢献《サービス》によって、これ以上霊界へ“出来損ない”(死後に地縛霊となってしまうような人間)を送り込まなくなるような世界のことです。(P.69)

ここに3つの新しいタイプが出ているので、これを聞こうかなと思っていました。

有希:私もここを読んで、新しい世界とはどういう世界なのかなと考えてしまいましたけど、ペーパーバーチさんはどうですか?

ペ:じゃあ、あまり知的でない答えを(笑)(鼎談に入る前の雑談で、ペーパーバーチには知的な解答が期待されているという話が出ていたのです(^^))。それは、テレビのスター・トレックで出てくるような理想的な世界でしょう(笑)。お金というものが存在せず、みんなが(お金のためではなく)自分の生甲斐のために働いているような世界。(このあとスター・トレックのテレビシリーズに関する説明が延々と繰り広げられますが、もちろんここではカット(^^;)

有希:要するに物質に惑わされない世界ということですね。

ペ:そうですね。最近のアメリカのSFドラマというのはニューエイジ的な考え方の影響があるのか、以前より理想的な未来世界が描かれる事が多くなっているような気がします。特にスター・トレックのキャラクターの言動には、なるほどと思わされることがありますよ。(ここでは80年代以降の新シリーズを念頭に置いています(^^;)

有希:へぇ〜、そうなんですか。私が考えた新しい世界というのは、皆の霊性が目覚めた世界かなと思ったんです。人によって新しい世界のビジョンというのは随分違うと思うんですけど、例えば、今の世の中の喜びは物質的な喜びが多いですから、新しいとなると精神的な喜びとなると思うんです。でも、それって新しいのかなあとも思ったりして。理屈で言えばそうなるけど、これだと別に新しいわけじゃなくて、スピリチュアリズムの世界からすると当り前の世界ですよね。

ペ:本当に全く新しいタイプといったら、僕たち(地上の人間)では想像も出来ないんじゃないですかね。

有希:でもシルバーバーチがいつも言っていることをベースに考えると、やっぱり新しい世界というと霊的世界になると思うんですよね。さっきペーパーバーチさんが言ったような物質に惑わされない人生と同じことですよね。

ペ:そうですね。そんなに想像もつかないようなことを言っているわけではないような気がしますし、ここは素直に、今までの物質的な喜びとは違う新しい喜びということで、精神的なことを言っていると読みました。

有希:とすると、新しいタイプの幸せって、物質に惑わされない幸せなんですよね。今までの幸せというと、いい学校に行って、いい仕事について、いい結婚をして、いい家を建てて、いい家でみんなで幸せに暮らす、そういうイメージをみんな持っていますよね。だから新しいタイプの幸せというのは、もう一歩中に深く入ったようなお互いの信頼関係で結ばれているようなものかもしれません。最低限食べていけるだけのものがあって、それにプラスして、しっかりとした信頼関係を土台にした愛で結ばれている幸せというか、霊的に繋がっている幸せというか、そんな気がします。
現代ではこういう家族関係というのは少ないじゃないですか。世の中の人を見ると、ただ衣食住を共にして、同居しているだけの家族というのがすごく多いと思うんです。夫婦や親子であってもあまり話さないし、お互いが何を考えているのかわからないというのが多いみたいだし。本当の新しいタイプの幸せというのは、お互いの内面とか価値観、そういうところまでも話し合えるような信頼関係、深いところでつながり合えるような関係じゃないかなと思うんです。
例えば私たちにしても、家族ではできないような話を今こうして話しているわけですよね。本当は家族の中でこんな風に霊的な話が出来たら最高だなと思うんです。同じような価値観をもって意見を交わす事で、お互いをさらに深め合えたりとかね。家族関係だけじゃなくて、友達関係でもそういったつながりをたくさん持つ事が新しいタイプの幸せなんじゃないかなと思ったんですけど。

長田:そうですね、思いつかなかった意見だったので改めてそうだなと思いました。私が最初考えたのは、大霊と一体になっている充実感というか幸福感かなと思ったんです。

有希:個人的に見ればそうなりますよね。大霊とか、霊界と一致する感覚ってなかなか持てないですものね。背後がいつも応援してくれているという感覚、それを自分が肌身を通してしっかり確認できれば、はっきりいって怖いもの無しですから。

ペ:言うのは簡単ですけど、実際にはなかなか難しいことですよね。

有希:難しいけど、中にはごく普通に一体感を持っている人もいますよ。そういう感覚ををみんながごく当たり前に自覚できる時代がいつか来るんじゃないかと思います

長田:でもここに“大霊の意思に適った世界”とあります。結局は霊的真理が行き渡った世界ということですから、全部含まれますよね。表現方法は一杯あって個人個人違っていても、核心はみんな同じだと思いますから。

有希:そう、言葉にすれば一杯ありますよね。お互いが利他愛で接する事ができる世界というのもあると思うし。そういう世界が来ると当然戦争とか無くなりますよね。利他愛がベースになった世界になれば確かに新しい世界と言えるかもしれないです。
他にチェックしたところはありますか?

ペ:P66の後ろから3行目なんですけど、今の状況にとてもタイムリーですよね。

 これからも地上には幾つもの大変動が生じます。崩壊もあれば隆盛もあるでしょう。皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかも知れません。「大変な時代になった……」そうおっしゃるかも知れません。しかし、そうした変動の背後には地上世界へ向けての大きなエネルギーの働きがあるのです。(P.66)

ちょうど今も「大変な時代になった」と思うようなことが起ってるじゃないですか。だからこういう時こそ霊界から大きなエネルギーが流れているんじゃないか。

有希:そう思うと、日本って第二次世界大戦を乗り越えてすごく発展しましたよね。それを考えてみて、戦争を経た大きなエネルギーがどうなったかというのを考えてみました。ファチマの予言って知っていますか? あの中で、「生きるものが死んだものをうらやむような世界が来る」というのが印象的でした。ナチスに虐殺されたユダヤ人にしても原爆を落とされて苦しんだ日本にしても、生きている方がつらい、死んだ方がマシという悲惨な状況でしたよね。そういう時代に大きなエネルギーの働きがあったとなると、そのエネルギーはどういう風に変換されたんだろう。少なくとも日本は物質主義の方に動いちゃいましたよね。

ペ:それでも、物質主義になったとはいえ、みんな豊かになって平和に幸せに暮らせるようになっているわけだから、全く意味がなかったということはないと思うんです。まぁ衣食住足りてそこから先へ行けるかどうかというのはこれからの問題ですけど。でも第二次世界大戦を経て世界中の植民地が解放されたということもあったわけですし、確実に昔よりは良くなっていると思います。悪いところを見ればまだまだいくらでもありますけど。
この本の出版が1938年で、第二次世界大戦がはじまるちょうど前の年なんですね。だからこれ(『シルバーバーチは語る』が出版されたこと)は本当にタイムリーだったんですね。

有希:全体としては良くなっていると考えてもいいようですね。

長田:私もそう思います。地球レベルで考えれば段々良くなっていると思いますが、この『変動の背後には大きなエネルギーと働きがある』とは、具体的にはどういうことなんでしょうか。

有希:第二次世界大戦でどん底までいったわけですよね。どん底まで行くと這い上がるエネルギーが要るからそういうのかと思ったんですけど。

長田:それに投与するエネルギーとその結果そこから這い上がるエネルギーと両方あるんですね。

有希:第二次世界大戦の前には色々な宗教がいっぱい出ましたよね。明治にはいっていろいろな宗教ができて、そのあと分裂したりしてすごく増えたと思うんです。そういう意味で霊的エネルギーもかなり投与されたのかなと思いました。第二次世界大戦後はみんな一致団結して這い上がろうとする力はすごいものがありましたもんね。貧しいところに宗教が加わるとすごい力が沸き起こると思うんです。そう考えれば、逆に今の時代は裕福だから一致団結しにくいのかも。

長田:そうですよね、なんだかんだと言っても今の日本は平和だから。アメリカではテロの事件以来、星条旗を掲げて愛国心を唱えて団結していますよね。それはそれでいいんでしょうけど、はたから見ると一歩間違えたらどうなるんだろうと、脅威すら感じてしまいます。

有希:それもエネルギーなのかも。
次に移ってもいいですか。
P67の5行目になりますけど、読んでとてもホッとした内容です。

私には地上世界はこれほどまで立派になり得るのだ、こうならねばならないのだということが分かっております。あとは“時間”の問題です。それを早めるのも遅らせるのも人類の自覚一つに掛かっております。(P.67)

シルバーバーチがここまで断言しているので、将来は必ず良くなっていくのだろうと思うと安心しました。歴史の中を見ると、戦争のない年なんてほんとに少ないじゃないですか。いつもどこかで戦争とか内戦とかあって、本当に良くなるのだろうかと思っちゃいますけど、やっぱりこういう言葉を聞くとほっとしますよね。

ペ:どれ位時間が掛かるのか、それが問題なんですけどね。あと何百年かかるのか。

長田:そうそう、私たちとシルバーバーチでは時間の観念が違いますからね。

ペ:シルバーバーチは3000年前から霊界で生きているわけですから。

有希:そうですね。ということは2000年3000年先の事を見越していっているのかもしれないし。

ペ:あと“たったの”500年くらいとか(笑)、そんな感じかもしれないね。

有希:科学的にはどんどんすごいスピードで進んでいくけど、現実の人間の状態だとそうとうかかるんでしょうね。
それからこのすぐ後の箇所ですけど、

そのうち、政治も宗教も科学も学問もある1つのものの側面に過ぎないことが理解できる、新しい人類が現れるでしょう。(P.67)

これってすごい予言だなと思ったんです。新しい人類ってどんな人類なんだろう。

ペ:考えてみればすごい言葉ですよね。新しい人類とか新しい時代とか。

有希:あまり想像できないけど、ひょっとしたら政治も宗教も科学も霊的なことも全て総括できる人間なのかなとも思いました。今は科学は科学、宗教は宗教のどちらか一方に偏っていますよね。この両方にまたがっている人の事なのか、それとも単に当り前のスピリチュアリストということなのか。

ペ:スピリチュアリズムというのは、宗教であり科学であるという事ですからね。でも実際にはスピリチュアリストと言ってもほとんど宗教家みたいな人が多いですけど。

有希:本当はスピリチュアリストという名前を付けること自体おかしいですよね。スピリチュアリズムにしてもそうですけど、付けなければしょうがないから付けているという事ですもんね。そうすると新しい時代というのは、スピリチュアリズムなんて言葉を使わなくてもいい時代ということなのかな。

長田:それが当り前になっている時代ということですね。

有希:そうかもしれないですね。
他にどこかチェックしてます?

ペ:P68の後ろから2行目になりますけど、

また既得権を取り壊す必要があります。(P.68)

引用短いですか? 別にいいよね。
えっと、既得権って色々ありますよね。ここで僕が思ったのは、先祖代々の資産みたいなものとか、どうしてもすでに持っているものというのは手放しずらいですよね。「もっともっと」という欲は、意外に簡単に捨てられると思うんですよ。それでも、お金がもっと欲しいみたいな欲は持っていなくても、もう“すでに持っているもの”というのは手放しずらいですよね。なかなかここは厳しい事を言っているんじゃないかなと思ったんですけど。

有希:そうですね。みんな既得権に関しては執着してしまうものかもしれないです。土地や家や地位を持っていたりするとそれに執着して、見えるはずのものも見えなくなってしまうから。そういうことを言っているのかな。

ペ:そうですね。もう持っているものというのは自分でも気づきもしなかったりするんですよね。それ(いろいろ所有していること)も含めて今の自分になっているので、そういうのを壊さないといけないというのは、結構厳しいことを言っているんじゃないでしょうか。

有希:なるほどね。とすると、例えば生まれながらに持っていた能力みたいなものも含まれるのかしら。ここではそういう意味は含まれないですよね。

ペ:そうですね。それは捨てるわけにはいかないですし。

有希:それはそうですね。でもそれがプライドとして出てきてしまったら捨てなければいけないのかなと思ったんです。

ペ:それは権利というより義務として生かさなければならないようになるんじゃないですか。もし持っている事を権利だと思っている人がいるとしたら、そういういう意識は取り壊す必要があるのかもしれないですけど。

有希:そうですね。持っている人は使って当り前なんですよね。今のところの3行前ですけど、

余るほど持っている人は足らない人に分けてあげなくてはいけません。別に難しいことではないと思うのですが……(P.68)

この言葉と引っ掛けて考えればそうだなと思います。よく24時間テレビとかありますよね。一見するとすごく人の利他愛をうまく引き出しているように見えるけど、いつも中途半端だなと思うんです。その時だけちょっと寄付しただけなのに、すごくいいことをした気になってしまうから、とても偽善的に思えるんです。やるのだったらもっと徹底してやればいいのにと思うんです。また逆に受ける側も、それに甘んじている人も中にはいるから、その辺が今の時代はまだまだだなぁと思います。受ける側も自分に少しでも多く回してほしいという利己性があるし、出す側は利他愛で出しているのに、それを歪めているのが人間の利己性なんですものね。

長田:そうですよね。シルバーバーチも奉仕は何でもいいですと言っていますけど、ちょっと考えてしまいます。ボランティアで考えれば、ホームレスの人に食べ物を分ける事もできますけど、はたしてそれで本当にいいのかなと思ってしまいます。どう見ても体が丈夫そうな人に関しては、頑張れば何だって出来そうなのにと思ってしまうんです。

有希:人間の心の中に、できるだけ楽をして何かを手に入れようとする甘えの構造がある限りは良くならないですよね。そのホームレスの人にしても、自分は働けますからいいです、と断るだけの力があって、本当に困った人に受けてもらうという自主性があればいいですけどね。そういう利他的な自主性が一人一人の中に出来ない限り、どこまでいっても善意が踏みにじられるということはなくならないですもんね。

ペ:奉仕とかボランティアとかっていうのも実践は難しいですよね。自分が持っているから単純にみんなに分け与えればそれでいいかというと、ちゃんと考えてやらないと全部無駄になって終わってしまうという感じもしますし。

長田:無駄に終わるだけならいいですけど、逆にマイナスになることもあるのではと思うんです。私もそうですけど、弱くなると余計に楽な方楽な方へと流れて、力を出そうとしないですから。子供を見てもよく思いますが、手を出すと、とことんまで甘えてきますから、どこかで厳しくしないと子供の為にならないという事がをよく思います。

有希:こうしたことはシルバーバーチがいつも言っている利己性という問題に全部引っかかってきますよね。


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