スピリチュアリズム勉強会&座談会
('01.12.17作成)

第7回('01年11月24日)
「シルバーバーチは語る」
5章 絶対的摂理の存在

その1


 

参加者:有希、長田、ペーパーバーチ

有希:こんにちは。5月から始まって今日で7回目になります。最初は続くかなと思ったけど、案外いいペースですよね。掲示板も段々と書き込んでくれるようになったし。

ペ:そうですね。だいぶ盛り上がって来ていますよね。

有希:読んでくれる人が多いということですから嬉しいです。で、ペーパーバーチさんは2人目のお子さんがもうすぐ生まれるようで、雅子様と同じ日になるといいですね。

ペ:同じ日は無理っぽいですけど、学年は同じになりますね。ご学友になったりして……。

長田:ロイヤルベビーですね。無事に生まれる事を祈っています。

有希:ところで今日は第5章です。この章は内容が多いから1回では終わらないかも。

長田:最初に質問してもいいですか? P76の11行目

間違っていると知りつつ改めることの出来ない者は、知らずに犯す者より重い責任を取らされます。(P76)

この「重い責任を取らされます」という表現だと、どうしても他人から強制的にもっと重いものを背負わされるように思ってしまうのだけれど、本当はそうではないですよね。自分の思いの世界だから死んでからの方が後悔の念が強くなるということなんでしょうか?

ペ:結局自分の問題なんですけど。「何」に責任を取らされるかということなんですよね。「誰か」にではなくて。法則の働きで必然的にそういうのが返ってくるという意味で、それを「取らされる」と言っているんだと思います。

長田:そうですね、法則と言われると分かります。でも、知った人というのは耳を傾けられた人で、知らない人というのはそこまでも行っていない人で、その差はあきらかに大きいんじゃないかと。

有希:これは具体例があった方がいいかもしれません。例えば子供達で言えば、「いじめちゃいけない!」というのは分かっているのだけれど、あるグループに「おまえもいじめないといじめてやる」みたいなことを言われると、いけないことは分かっていつついじめる側に立ってしまうということがありますよね。

長田:そういうのだと、知らずにやっている人は苦しくないけど、知っていてやっている人は倍苦しいですよね。そういう自分の中に湧き出る苦しみということですね。

有希:そうだと思います。だから自分でしたことに対して、自分の心の中に傷を作っていく事になりますよね。「あんなことしてしまった」といつまでも自分を縛ってしまうことになるし、そういう形で責任を取らされることもあると私は読みましたけど。

長田:そうすると、死んだあと本来の地上人生の目的が甦って来ますよね。自分はこれをクリアーしなければいけなかったのに出来なかったと、その後悔の念と、また次回に持ち越されるということが、責任を取らされるということですね。

ペ:同じような話で、シルバーバーチが牧師に話したところがありましたよね。ほら、本当に信じて教えていたのなら責任を取らされる事は無いけれども、間違っていると分かっていながら教えたのなら、一人一人に訂正して回らなければいけない、というのが。

有希:ブラバツキーみたいなものですよね。これは違うと思いながら自分の名誉を優先してしまって、というところですから。

ペ:もっと簡単に肉体的な例えで言えば、燃えているものを知らずに触ったら一瞬で反射的に手は引っ込むけど、知りながら意を決して触ったのなら瞬間的には手は動かない。当然、知らなかった場合より酷い火傷をしますよね。それは霊的な事でも同じ事が言えるということだと思います。

有希・長田:ほほ〜っ(感心!!)

ペ:実はこれ、シルバーバーチがどこかで言ってた例え話なんですけど(笑)

有希:なるほどね(^・^) 結局全部自分に返ってくるという事なんですね。だから霊界に持って帰っても解消していないわけだから、また次に地上に出て来る時には課題としてこなさなければければいけないという、この繰り返しが起きちゃうんですよね。
私達スピリチュアリストに課せられているのはその次の言葉かな。

魂が目覚め、霊力とともにもたらされる愛の恩恵に浴した人、つまり霊的真理の啓示の恩恵に浴しながらもなお自分中心の生き方に終始している人は、その怠慢に対する罰がそれだけ大きくなります。(P76)

以前ある人が、『シルバーバーチは語る』を1回通り読んだところで感想を話してくれた事があったんです。その内容が、「読まなければ良かった。でも知ってしまった以上はないがしろに出来ない」というものでした。その人に限らずこの知らなければよかったという言葉は良く聞きます。やっぱり怠慢な自分である方が楽だからなんですよね。

ペ:その気持ちはよぉく分かります(笑)。ただ、そういう摂理を守っていればここに書いてあるように

それを守りさえすれば物的生活に健康と幸せをもたらすことが出来るからです。(P76)

突き詰めて考えれば、絶対に悪いことは無いんですよ、あらゆる意味で。ここは精神的にということだけでなくて、物的にもというのがポイントじゃないかと、僕は思ってるんですけど。

有希:本当は単純で簡単なことなんですよね。でも1回読んだだけで中途半端に霊的真理を知ってしまうと、知らない方が良かったと思うかもしれないですけど、本当の意味がちゃんと分かると、やっぱり知ってよかったと思うはずです。知らずにいたらもっと怖かったというのが分かりますもん。だから中途半端な読み方をすると確かにまずいなと思うんです。

ペ:例えば、散らかった部屋で暮らしていても、電気がついていなければ分からないけど、蛍光灯を買ってきてつけてみたら、「うわっ、何だこの部屋は。電気なんてつけなきゃ良かった」と、そんな感じですね。

有希・長田:おもしろいですね〜(^◇^)

ペ:あっ、この話は僕のオリジナルです(笑)

長田:さすが〜。でもいずれはその人も自分の部屋の実態を知る時期が来るのだから、少し早いか遅いかの違いで、やっぱり片付けなければいけなくなるんですよね。それから、もっと早く知っていればよかったと必ず思うんですよ。

有希:そうそう、あの汚さが脳裏にチラついて取れなくて、結局また電気をつけるんですよね。とても良い例えだと思います。

長田:大概の人はここで、どんな責任を取らされるのだろうとか、どんな罰が来るんだろうとか、引っ掛かりますよね。でも、そうやって目を伏せたままだと、死んだ後きっと後悔するんですよね。

有希:どれくらい後悔するかはちょっと想像つかないけど、かなり大きいでしょうね。

ペ:もう一回生まれてやり直すというのもなかなか出来ないですし。

有希:私なんか、もう一回生まれたいと思わないなあ。できれば今世でよしにして欲しいけど、そうはいかないでしょうし。

長田:本当ですね。でも私、霊だけになったら何で出来なかったんだろうと思うこと沢山ありそうだな。

有希:ええ、そういうことって一杯ありそう。
それでは次に行きましょう。P77の真中です。

それを機能させれば地上にあっても神の如き生き方が可能なのです。病気に関しても、人間の内部にはいかなる病気でも自らの力で治す治癒力と、いかなる困難をも克服する霊力をそなえているのですが、あなた方はまだそれを実感しておりません。(P77)

確かに実感していないと思うんですけど……実感してます?

ペ:実感とまで言われると……ううん、していないですね。

有希:例えば、へとへとに疲れて帰ってきてバタンキューのところに、とっても嬉しい知らせが入ったりすると、疲れが一気に吹き飛んじゃうとか。これは外部からの作用だけれど、そういう力って自分の中にありますよね。大なり小なりみんな体験はしているはずなんだけれど、改めて頭で考えると無いような気がするだけで、本当はみんな体験していると思うんです。

ペ:ああ、そういうことなら。多かれ少なかれはあるでしょうね。
その次の――

いざという窮地において引き出せる霊力の貯蔵庫を持っているのです。(P77)

この「霊力の貯蔵庫」というのが面白い表現ですよね。いくらでも引き出せそうな。

有希:確かに無限大にあるような感じはします。ただそれを「自分はダメだ、出来ない」というように、自分で自分に線を引いてしまうからうまく取り出せないのかなと思うんです。

長田:そうかもしれません。

ペ:それからここの表現もイイんですよ。

進化の跡をたどれば確かに人間もあらゆる生命体から進化してきており、遺伝的には動物時代の痕跡も留めておりますが、それを遥かに凌ぐ資質として、大霊から授かった神性を宿しており(P77)

ね。この「遺伝的には動物時代の痕跡も留めて」いるというの、面白いですよね。肉体的な欲求というのは確かにあるのだけれど、それよりも霊的な部分の方が上なんだよというのがよく分かります。

有希:本当の人間らしさというのはこの辺ですよね。動物と人間の違いは、霊的なことが分かるか分からないかという点だと思います。だから、本能のままにただ食べて遊んで生活しているだけという人は、人間の形はしているけれど、まだ動物と同じということですよね。この「遥かに凌ぐ資質」をどう活かすかが大切なんですよね〜。

ペ:肉体的なものを持ちながら霊性も持っているという、(霊界の存在にはない)地上の人間の特殊な環境というのは軽く考えてはいけないというか、そこにこそ(人間がこの世に産まれる)意味があるのだろうという気がします。

有希:この動物的なものと霊的なものとは、全く正反対でほとんどのものがそうですよね。食に関してもそうだけれど、食べたいというのは本能だし、でも霊的なところでは食べる事よりも別な事の方に価値を置きたい、というのがあります。そうすると葛藤する心が出てきて、その葛藤が成長する1つの段階になるんですもん。たぶん葛藤するのは人間だけですよね。

ペ:動物は葛藤しないし、霊界の人間も葛藤しないですから、そういう意味では地上の人間だけですよね。

長田:そうですよね。肉体があるから葛藤するわけで、葛藤しに再び生まれて来るのですから辛いよね。

有希:でもシルバーバーチは次のP77の後ろから4行目に――

その貯蔵庫から必要なものを引き出すにはどうすればよいかと言えば、大霊の摂理にのっとった生活に徹しさえすればよいのです。(P77)

と、いとも簡単に言ってくれるけど、徹するには相当葛藤しますよ。

ペ:「さえすればよい」という言葉から受ける感じほど、人間にとっては簡単な事ではないですよね。

有希:そう思います。

ペ:P78の後ろから5行目ですが――

その肌色の一つ一つに意味があり、目的があるのです。(P78)

現在の世界の状況を見る限り、人間はそういうところがまだ全然理解出来ていないみたいですよね。……かく言う僕も、実はよく分かってないんですけど(苦笑)

有希:私もこれはどんな意味かなとか、その目的があるのか良くわからなかったんです。ただ単に人種差別だけでしょうか?

ペ:でもその人種にそれぞれの長所があると言っているわけだから、質が同じだという意味での平等ではなくて、何かあるのでしょう。

有希:何か役割の違いみたいなものがあるのでしょうか。黄色人種には黄色人種の役割とか、白人には白人の役割とかがあるのかしら。言い換えれば女性と男性の役割の違いというのもあるし、そのように置き換えれば少し分かるような気がするのだけれど。男性と女性は全く対等ではないですよね。価値としては対等だけれども体力的にも違いますから。

長田:そうですよね。それぞれが補い合って協力して初めて良いものが生まれてくるんですから。

有希:男性は元々腕力があるから力仕事が向いているみたいに、それぞれの資質が違うから、平等だと言って何から何まで全部一緒にしようとするのは本当はすごく不平等だといつも思うんです。

ペ:平等というか、悪平等というか。

有希:それは男性の中にも女性の中にもあって、例えば女性は結婚したら家事をするのが当然みたいな感じがありますよね。でも中には料理がとても苦手な人もいるし、男性と同じような事をする方が性にあっている人もいるし、だからそれぞれの資質とか能力が生かされて初めて平等と言えるんだと思うんです。ちょっと本文とズレちゃったかもしれませんが、肌色の違いもそういう意味合いなのかなと思います。肌色の一つ一つの意味とか目的となると死んでからじゃないと分からないのかもしれません。

ペ:そうかもしれませんね。実際にはそれ以前のところで全然平等ではないですしね。今だってアメリカが空爆をやっていますけど、あれはもしもビンラディンが白人だったら、絶対あんなメチャクチャな空爆なんてやらないでしょう。民間人も大量に無差別に虐殺しているんですから。白人が相手だったらアメリカの世論が許さない。
日本に原爆を落としたり、東京の大空襲も黄色人種が相手だからやったわけで、相手がヨーロッパの国だったら絶対にあんなことやらないですよ。

有希:なるほどそうですよね。人種間の問題ってすごく根深いですね。無意識に動いてしまうというのもまた怖いような気がします。

ペ:うん、まぁ、次に行きましょう。P79の7行目ですが――

あなた方一人一人が大霊の仕事、大霊の力、大霊の愛、大霊の知識に、その分に応じて貢献出来るということです。例えば自分より力の劣る人を少しでも向上させてあげる上で貢献すれば、その分だけ大霊の力があなた方を通して顕現したことになるのです。(P79)

それぞれの持っている器量とか力に応じて貢献出来るというところがここのポイントだと思うんです。たとえば色々な宗教とか団体に入っている人達は、いきなり「世界全体のために」みたいな大きな事を言い出すことが多いじゃないですか。そういうのは結局、自分の力量をわきまえていなければ何にもならないと思うんです。
いきなり大きな事……たとえば世界を救おうとか決意したって、自分の力量を考えれば欠片《かけら》ほども貢献出来ないことは明白で、そんなことに努力するのは何もしないのと同じです。そんなことより、ちょっとしたことでも、身近なところで誰かを助けてあげるとか、向上させてあげられれば、そっちの方がよほどすごい貢献だと思うんですよね。夢みたいなことばかり言って無為に時間を過ごしているより。
同じ霊的な貢献を語るにしても「地に足がついている」のが、シルバーバーチが他の宗教と違うところかなと思っているので。

有希:でもこれは全ての人間に言えることですよね。親が子供を育てるのもそうですし、兄弟で上の子が下の子の手を引いて歩くのもそうだし、何かにつけてそうですよね。だけどそれを霊的な自覚をもってやるということが大切なんですもんね。

ペ:多分そこら辺の兄ちゃんや姉ちゃんが世界平和の為にお祈りを、なんて言い出しても、霊界からの助力は得られないと思うんです。目の前のこの人を助けてあげたいという思いがあれば、霊界からの助力は得られるだろうけど。
だから自分の身の丈にあった事をやろうという意思があれば、大きな事を考えるよりもかえって大きな仕事が出来る……と思いますけど、どうでしょう。

有希:そう思います。いやぁ、ペーパーバーチさん、今日は冴えていますね(^・^)

ペ:今日は一応、予習して来ましたから。(いつもしろよ(^^;)

有希:次に私がチェックしたのは、P77の最後ですけど

人生は行為だけで成り立っているのではありません。口に出して述べること、そして頭や心の中で思考することも大切な要素です。行いだけが責任を問われると思ってはいけません。(P77-78)

これって聖書の中にも出てくるんですよね。

ペ:そうですね。

有希:やっぱり思っている事、考えている事に関しても責任を持たなければいけないとね。

ペ:ちょっとここは耳が痛すぎて……

長田:そうなんですよね……

有希:ずっと昔ある人と話をしていた事があって、すごく強烈な印象があるんです。その人が言うには、人間が考えている事がもし全部実現したら、世の中はものすごい地獄になるとね。人間はそれだけくだらない事を考えすぎだ、という事を話した事があったんですけど、想像したら恐ろしくなりました。例えば政府の人達にしても立派な事は言っているけど、ひょっとしたらあんな所には原爆を落としてしまえばいいと考えているかもしれないし。やらないだけでみんなそういう事ってありますよね。

ペ:僕なんか多分100回ぐらい痴漢で捕まってます。

有希・長田:アハハハ(大爆笑)

有希:でも男性はみんなあるでしょう。

長田:私も初めてこの箇所を読んだ時はショックでした。だって自分の頭の中には色々な事が渦巻いていて、それら全てに責任があるとなると大変だぁとね。でも今は思いがそのまま残る事を思うとやっぱり責任があるなと思えます。

有希:私なんか殺人もしているし、自殺も何回もしているし、泥棒もしていますよ。殺人といっても、この人がいなくなったらどんなに楽か、という程度ではありますけどね。ただどこかに書いてあったと思いますが、頭の中をよぎるとかそういうものではなく、思考を使って考えることとか、一番深いところから沸き起こってくるものだって。だから頭をよぎった程度の痴漢なんて関係ないよね。

長田:何かのことをずっと考え続けたり、他人に対する恨みとか憎しみみたいな怨念のことですか?

有希:ええ、そうだと思います。だからあれ食べたいこれ食べたいとか、食べることばかりを考えていてはいけないけど、無意識のうちに頭をよぎることは関係ないということですよね。

ペ:階段で上の方にいるミニスカートの女の子を見て……ええと、ちょっと屈んで覗いてみる想像をしたりとか(実際に覗いたりはしてません、ホントです(^^;)、いや、べつに見たいってわけじゃないんだけど、反射的に考えちゃうじゃないですか。そんな事まで思考に責任を持たなければいけないと思うとちょっと辛いですものね。でも、その程度なら大目に見てもらえるわけだ。ホッとしました(笑)

有希:そう思うと、憎しみとか怨念を持ったままで死んだ人というのは大変だと思います。

長田:そうですよね。でも、その憎しみから実際に行動を起こした人と、踏みとどまる人ではやっぱり差はありますよね。

有希:それは差があるでしょう。例えば自分の中だけで怨念を持っていてそれを表面に出さなければ、自分に降りかかってくるだけで済みますけど、実際に行動に移してしまったら、相手との関係が出来てしまうわけだから、この違いは大きいと思います。

長田:そうですよね。行動に起こしたという事は、カルマが残ったというか、クリアーできなかったということですもんね。


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