スピリチュアリズム勉強会&座談会
('01.12.17作成)
その2
長田:それからここで質問なんですけど、その次に――
この文の意味がどうしても分からないんですけど。 有希:考えて次のステップにするというのが、思想の主人だと思います。それに比べて、ただやたら考えるだけ考えて、もやもやして堂々巡りをしているようなのが、思想の奴隷になっていることだと思います。例えばテロの事件でいえば、シルバーバーチの言うように「霊的視点で見ればそれはそれでいいんです」と考えるとすっきりします。でも地上的視点で見ると、あれだけ多くの罪も無い人たちが殺されて、その罪はアメリカにあるのか、それともタリバンにあるのか、と考えていくと事がどんどん大きくなって余計に悶々としてしまいますよね。その違いだと思います。考え始めたらわけが分からなくなるとか、答えは分かっているのに認めたくなくて、ああだのこうだのと勝手に色々展開していくのが「思想の奴隷」なのかもね。 長田:そういう人、よくいますね。分かりました。 有希:ところでP80の真中あたり
この「ブドウ園の園丁」という例が出てきますけど、どんな内容か知っていますか? この時に聖書を開いてみたんですけど、おや〜という箇所でした。聖書のマタイの第20章なんですよ。読んでみますね。
私達からすると、たくさん働いた人はたくさんお金がもらえて当り前で、一時間しか働かない人は一時間分だけしかもらえないのが普通だと思いますよね。なぜそれがいけないのか、ずっと疑問に思っていたところだったんですけど、夕べこの箇所を改めて読んでみてとても納得したんですよ。実は20年前に読んだ時に理解できなくて保留にしていたところだったので。こんなところでわからせてもらえるなんて思ってもいませんでした。 ペ:僕が思ったのは、ええと、無限大×1も無限大×100も同じ無限大なんですよ。だから、いつ来たかというのにかかわらず同じように尊いのだということじゃないかと……。大霊の使者というか、道具として働く価値は等しく尊いということだと思ったんですけど。 有希:ああ、なるほど、シルバーバーチのこの文からすると多分そういう意味ですよね。では「後の者は先になり、先の者は後になる」というのはどうでしょうか。私が思ったのは、例えば科学で考えたとします。科学の先駆者で有名な一人といえばニュートンだと思いますが、何でも一番最初というのは非常に単純で、すでに発達した今の時点から見るとつたないですよね。でもその功績はとっても大きくて、後になればなるほど技術とかが積み重なって、すごく大きい結果を出す事が出来ると思うんです。後になればなるほど最初のものがちゃちに見えてくるけど、全体の価値としては同じ、というように私は思ったんですよ。 ペ:は〜、なるほど〜。 有希:このシルバーバーチの箇所でいう「その霊力に反応する人」とは、ブドウ園の主人の声掛けに素直について来る人という事ですよね。来た人には必ず恩恵があります、ということと、その霊力を素直に受けいれるかどうか、という事かな。それと、地上から見たら不平等に見えるけれど、霊的には平等、っていうか。 ペ:ふむふむ。
これは本当にその通りだと思って読んだんです。よく色々な人を見ていると、不平不満を言って、今の自分は何でこんなに不幸なんだという人がいますよね。でもなぜそうなっているかというと、やっぱりその人の生き方が摂理に適っていないところがあるからそうなんだという、結局自分の責任じゃないのと思う事がありますよね。別に霊的から見るまでもなく、この世的な視点からでもそう言える人がほとんどですよね。 有希:自分で思ったとおりの結果が出ないと不平不満が出るということですね。そういう人って多いです。例えば同じ不幸な状態にあったとしても、不平不満で責任転嫁ばかりする人と、逆にそこから何かを学ぼうとする人と2通りあるからその差は大きいと思います。 ペ:ほんと、大きいですね。 長田:よく耳にする事が、思い続けるとそのイメージ通りになるから、不平不満を口に出している人はいつまで経っても不平不満の生活にしかならないって。だから「ウチの子はだめだ」と愚痴ばかり言っているから子供も良くなっていかない。その人が口に出した事、イメージした事が現実化していくと言う人がいますけど、それって本当だなと思います。自分で不幸を呼び寄せてるってことですから。 ペ:特に一緒に暮らしている子供の場合は親のオーラの影響も受けますから、本当に親の影響力と責任は大きいです。それと、だいたい後ろ向きな人とは他の人も付き合いたくないから、人も離れていってしまいますよね。 有希:それはありますね、気をつけましょう。
ここを読んで、そうかあ、相手にしなくていいんだって思いました。シルバーバーチは嘆いている人とか悲しんでいる人を1人でも……と言う箇所が多いのに、ここでは相手にしてはいけませんと言っているから意外でした。嘆いていても何とか立ち上がろうという人は、いくら手を貸してもいいけど、いくら手を貸しても不平ばかり言っている人には……という事ですよね。 長田:そうね、最初からそっぽ向いている人にはどうする事も出来ないもの。 有希:最初からそっぽ向く人に「それじゃあいけないよ」と言うと、余計にそっぽ向くものね。 ペ:結局シルバーバーチが言うには、スピリチュアリストとしては不平不満を言うのではなくて、次のP82の5行目
というふうに言えれば大丈夫なんだという。これに尽きるんじゃないですかね。 有希:私はどうもここはしっくり来ないんですが、しっくり来ました? ペ:ええ、僕はわりといつもこういうことなんだと思いながらいるので、しっくり来ますけど。大霊の一部だ!とまではなかなか言えないですけど。 長田:こういうように言えたら強いなと思いましたけど。 有希:理屈ではわかりますが、私と全然違う感覚なのでしっくりこないなあ。 ペ:ものすごーく卑近な例を挙げましょうか。 有希:なるほどね。 ペ:言葉は大げさになっていますけど、他のところで言っている事を集約して言っているだけだと思います。もう少し後で「完全なる愛は恐れを取り除く」(P82)という言葉も出ていますよね。 有希:この言葉の方が私にはしっくり来るなあ。
この「霊的感度が増す」ということはどういうことなんでしょう。霊性が上がるとか霊性が豊かになると考えていいんですよね。 長田:そうですよね。「霊的感度」だけをとると、霊的敏感度というか、霊感の感度と取られがちですものね。 有希:ええ。やっぱり霊感の方ではなくて霊性の方ですよね。「霊性の感度」に書き換えて欲しいなあ。 長田:P83の5行目――
昔、この霊的真理を手にする事が出来て本当に良かったと思った時があります。もちろん今でもそう思っていますけど。これは地上の目に見えるもののどんなものにも代えがたい宝だな、と思ったのと同時に、自分の中に埋もれているまだ原石のダイヤモンドを磨いていかなければ、と心からそう思ったことがあったのでここを選びました。それからその為に「最高の階層のバイブレーションに反応する」とはどういうことなのかを、もう少し説明して欲しいんですけど。 有希:私は(心の道場が出している)ニューズレターだと思ったんです。ニューズレターってとっても高い事を言っていますよね。そうすると、そのバイブレーションに合う人は、あれを読んでとても心地よくて、そうだそうだ!! と納得できるのだけれど、バイブレーションの低い人はあれに反発するみたいです。 長田:そうですね。反発する人もあれば、ちんぷんかんぷんの人もあるし、本当に様々ですよね。 有希:反発する人はまだその途中の人ですよね。例えばシルバーバーチを読んでも反発する人もいるんですよ。逆にすごく心地よくて、これこそ本物だと反応できる人もいますよね。 ペ:シルバーバーチの霊訓を読んでも、「いい事は書いてあるね」だけで、全然感銘を受けない人は結構いますからね。反発する方がまだ反応しているかなという気がしますよ。 有希:でもシルバーバーチに反発する人はあまり聞かないけど、ニューズレターに反発する人は一杯いると思うから。 ペ:あれは相当忌憚の無い意見が書かれていますからね。もしかして読む人を試しながら書いてるんじゃないかという……。過激というか反発を受けそうな内容も、確信犯的に書いている部分も大きいんじゃないですか。 有希:そんな感じですよね。言葉じりとか表現の仕方にとらわれている人は絶対に反発しますよね。摂理がわかっている人とか、内容が読める人というのは反発しないですから。 長田:そうですね、何となく分かりました。時間も残り少なくなってきましたので、最後にもう少し説明して欲しいところがあるんですけど、P84の5行目
有希:これは信仰者と唯物論者の違いだと思います。信仰者というのは「神がいるんですよ」と言われれば確信も持たずにただ信じようとしますよね。これが最初の「証拠を何一つ見なくても信じることの出来る人は幸せです。」ですよね。次に「物的証拠を手にした上で」というのは、例えば大槻教授のような人がもし霊界を信じて悟ったとしたらすごいと思うんです。そういうことかなと。 ペ:いや、大槻教授は論理的思考能力と人間性に問題が……(汗) 有希:確信が持てるわけですもんね。霊現象を見たとしても、それでも信じない人がいるぐらいですから、それで信じる事が出来ればなお一層幸せですもん。 ペ:証拠も何もなしで、何となく信じている人のような、そういう信仰というのは妄想と紙一重の信仰だと思うんです。それはそれで幸せなんだけど、やっぱり知識を基にした理性的な信仰のほうがもっといい。 有希:そうですね、絵に描いた餅では困るわけですものね。 ペ:だからシルバーバーチを読んですでに信じている人も、そういう物理現象をもう一度勉強し直してみるのもいいですよと言っておきたいです。 有希:それは具体的にはどういうことです? 私も実際には霊現象なんて見たことないし、せいぜいスピリチュアル・ヒーリング程度ですから。 ペ:霊的治療も証拠の為にしているわけですから、証拠といえば証拠ですよね。とは言え、なかなか全ての人が自分で体験して確認するのは難しいですから、どうしても本とかで知識を得ることになると思います。 有希:私の場合は霊現象も見ていないし、本を読んで信じただけでもないし、読んだ後、知識として残っている部分を自分で体験したことに確信が持てるんです。 ペ:僕はああいうのを読まなければ信じていなかったですよ。シルバーバーチの霊訓を読んで確かに心は動きましたが、信じられたかというと、たぶんそれだけでは信じられなかったと思います。 有希:ペーパーバーチさんの物的証拠にはお友達のスピリチュアルヒーリングも入りますか? ペ:それも入りますが、やはり本がメインですね。けど、本で読むだけでは、もしかしたら全部嘘かも知れないと思ってしまうんで、自分自身であれこれ体験もできたというのは必要なことだったと思います。ただ、もちろんその理解の基準となる知識があればこその体験であって、それが必要になった時に霊界が動いてくれていたんでしょうね、やっぱり。 有希:それはそうですね。やっぱり信じるだけではもろいですよね。でも、シルバーバーチも最後は信じるという世界に入ります、とどこかに書いてありましたよね。 ペ:この世のレベルでは証明できない事が一杯ありますからね。神は存在するのかどうか、とか。いくら物理的な心霊現象を観察しても分かるはずのないことは多々ありますし。 有希:なるほど、そうですね。 長田:今日のところはとっても難しいと感じていたんですが、お二人の意見を聞けて本当に良かったと思います。一人で考えていてもどうしてもわかり難いという事が沢山あったのが、何となくでも分かりかけてきたのは良い収穫だったと思います。それから、自分はまだまだ頭だけの世界で言っている事はわかるのだけれども、魂が理解できていないというか、実感として分からない部分が何て多いんだろうと改めて再確認できました。 ペ:今日はとっても盛り沢山でしたね。それぞれ感銘を受ける場所が微妙に違ったりして、僕の附箋《ふせん》の箇所と、有希さんと長田さんの附箋の箇所を全部つなぎ合わせると全文になっちゃうような状態ですよね。 有希:ホントそうですよね。それからいつも思うのが、自分だけでそうだそうだと思って読むよりも、みんなで一緒に読んで語り合う事ってすごく大きいと思いました。魂の染み込み方が違いますよね。よく言霊と言いますが、やっぱり自分の口から出した言葉は自分に返ってくるから、魂に染み込みますよね。掲示板もそうですけど、書き込むことで自分に言い聞かせて、自分に逆流してきて、自分で学んだり整理されたりする部分ってありますから。今日は語り合う重要性をひしひしと感じました。 |