スピリチュアリズム勉強会&座談会
('02.01.23作成)
その2
長田:次に行っていいですか。P89の2行目です。 常に何か不満を抱いている人がいるものです。地上世界だけではありません。こちらの世界でも同じです。それは自分の不完全さに気づいている証拠です。神の道具としてまだまだ十分でないという意識があるからです。そうした自己との葛藤を通して霊性の不完全さを克服し、神性の開発が可能になるのです。(P89) 自分自身の未熟さや不完全さに対する不満を常に持ち続けなければいけないという事なんですけど、毎日生活していて少しでも気持ちが下向きになると、自分の人生はもう霊的真理を知っただけで十分だ、もうこれでいいとつい甘えが出てしまう事があるんです。でもその度にダメダメ、これでいいと思った時点でストップしてしまうのだからと、自分に言い聞かせているんです。だから、まだまだ十分でないという意識は常に持っていたいなと思います。 ペ:やっぱり理想とか目標とかは持っていないといけないですよね。それとのギャップがあるから葛藤するのであって。 長田:「こちらの世界でも同じです」とあるから、やっぱりこれは魂の中から出てくるもので、死んでもそのまま残っていて、霊界でも同じように神の道具として働くんでしょうね。そしてその不満が積もり積もって、やっぱり成長の為には再び地上に出るしかないという決意で生まれてくるんだと思います。 ペ:以前に精神世界の本とかが大好きで読んでいる人が「自分にはもう何も不満がないんだよ」と言っていて、それは違うだろうと思った時の事を思い出しました。 有希:自分はもうこれでいいんだというのは、一見すると謙虚な感じがしますけど、傲慢ですよね。 ペ:その人の理想が低い事とか、問題意識がないことが分かっちゃいますからね。 大霊は必要なものは充分に用意してくださっております。なのに、それを授からない人がいるということです。他の者が飢えているのに自分だけは充分に手にして平気でいられるようでは、その魂は霊格が高いはずはありません。(P.89-90) 有希:これはとても耳の痛い言葉です。私は裕福ではないけれども貧乏でもないので、とりあえず食べているし、屋根のある家にいられるし、暖房もあるから、こういう寒い時期になるとホームレスの人達の事がすごく気になります。だけど、じゃあ何かしてあげられるかと言うと、それこそ衣類をあげたりは出来るのだけれど、それだけでいいのか?とこの何年間か考えているんです。でも、結局何も出来ないままにずるずると今に至っているんです。某神父さんの言葉に愕然としました。その神父さんを中心としたボランティアの人たちは、衣類とか食べ物はあげているけど、心が温まるような事は何もしていないんです。ただ機械的にホームレスの人達の間を回っているだけみたいな。もちろん他の地域の人達も同じ事をしているとは限らないんですけど、私はそれを見て逆に疑問が増大してしまいました。結局は一人一人が確かな知識をもっていない限り何も解決しないんですよね。聖書の中にもあるように「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」というのを思い出しました。だから食生活や住む所が解消されればそれでいいのかというと、その人の生きる姿勢が変わらないかぎり、本当は何も解消しないんですよね。 長田:そうですよね。でも掲示板にも書いてありましたけど、最初はやろうとしたけど全部無駄になってしまうからとね。だからこちらの姿勢として、そこをどこまで付き合えるかという問題があると思います。それを思うとマザー・テレサはすごいなと思います。 有希:マザーは確かにすごいよね。私たちは思っていても手も足も出ないし、取り掛かる事すら出来ないもの。でもスピリティズムの○さんはそれを具体的にやっているんですから、尊敬してしまいます。 長田:たった一人の人でもいいから真剣に付き合えばいいのだろうけど、はたして自分はどこまで付き合えるのか?という問題も感じます。 有希:世の中の人って、ほとんどの人がたった一人の人とも霊的にうまく付き合えないでいるんじゃないかなと思うんです。霊的真理を知っていて、自分の事をアピールする事は出来るのだけど、霊的に真剣に誰かと付き合っていくということはとても難しい事なんですよね。それができないでいて、ホームレスの人に関わるとか、アフガンの人の事を何も言えないじゃないかと思ってしまいます。考え始めると自分が何もできない事にさいなまれます。 長田:本当にその通りですね。 有希:でもね、最後に落ち着くのはやっぱり自分のできる事をやるしかないんじゃないかと。できない事を無理してやろうとするのではなく、できそうなところからまずやっていくしかないものね。そうすると、自分にできる事とは一体なんだろうと考えると、まず身の回りの事かな。メールをくれる人にやる気や勇気を与えたり、自分の力で生きていけるように自信を持ってもらったり、塾の子供達には少しでも視野が広がる考え方を教えていったりと、今の私にできるのはそれくらいしかないし。自分って何てちっぽけなんだろうと情けなくなります。 長田:私も口では立派な事を言っているくせに、現実を見ると何もしていないじゃないのと、本当に情けなくなります。ホームレスの人と真剣に付き合うには、それなりの覚悟がいりますよね。霊的な事も物的な事も全て関わらなければ解決しないし、もちろん途中でやめることはできないし、そこまでの思いと覚悟が自分の中にあるのかというと、まだまだそこまでの利他性を持っていないなと、情けなく思います。 有希:考えてみれば、そういうことに関わりたいと思っても関われないのが今の状況かなとも思います。例えば、家のすぐ近くにホームレスの人が住み着いたりとか、親戚でそうなってしまった人がいるとなると、どうしても関わる状況になってきますけど、今はそういう状況にないので、わざわざ自分が出向いていってまで関わらなくてもいいんじゃないかなと思ってしまうんです。 ペ:そこまでの動機というか、自分の中に衝動が沸いてこないというのは、それが今の自分にとってやるべき事ではないからじゃないんでしょうか。 有希:そうですね。最初はできないことに対する言い訳かと思ったんですが、客観的考えると、自分は多分今は関わる必要がないんだろう、関わる必要が出てきたら否応なしにそういう状況に追い込まれていくだろうと思いました。 長田:私もそう思います。きっとその時期が来ればそういう衝動に駆られるでしょうし、まだ自分がそこまで成長していないんだろうと思います。 有希:なかなか難しい事ですよね。一人の人間があれもこれもできるわけではないから、その内の何かを分担してやるしかないものね。その分担の1つがホームページかなと今は思っています。こうしてサークルでやっているのもその分担の一部ですよね。 ペ:とりあえず月一回はやっていますしね。 長田:そうですね。それから、自分で蒔いた種というのもありますよね。日本は裕福でどうしたって食べていける状況にあるのに、ホームレスになる状態になるというのは、やっぱり自分でクリアーしなければならない問題なのかと思います。それこそ、霊界も手出しできなくて泣いているという事かもしれないですね。 有希:シルバーバーチが言うように、永遠という長い目でみた時に地上が一時的なところであるというように見たら、本人にクリアーしてもらうしかしょうがない部分ってありますよね。こちらが手出ししてどうのこうのじゃなくてね。P90の8行目に そんな時、私は涙を流している事があります。救いの手を差し延べてはいけないことが分かっているからです。それが摂理だからです。(P.90) やっぱり自分を救うのは自分しかいないから、その人が他の人に助けられていては自分のカルマはクリアーできないことはありますよね。 ペ:そうですね、代わりにやってもらっても意味がないことですから。 いずれにしても私が皆さんに代わって問題を解いてあげるわけには行かないのです。それは皆さんの自由意志に干渉することになるからです。(P.90) これですよね。 有希:そうですね。してあげたくても、してはいけないこともあるし、どこまで関わってもいいのかという見極めって難しいですよね。 長田:結局、原因はその人自身にあるんですものね。その人が変わらなければ何も変わらないんですから。 有希:そう、誰かに手伝ってもらおうと思っている間は何も変わらないなと思います。シルバーバーチの言うように、最後は自由意志の問題ですよね。 ペ:世の中に氾濫する霊界通信の中には、こまごまと、あれしなさい、これしなさいというようなものもありますけど、そういうものはそれ自体でレベルの程度が分かっちゃいます。 有希:霊界通信でもあまり細かく指示されると、今度は指示がないと何をどうしていいのか分からなくなっちゃうから、やっぱり自分で考えて、自分で対処できるような通信内容の方がずっと愛ですよね。 ペ:でもそういうある意味“具体的な”通信の方が好きな人、たくさんいるんですよね。 有希:それからさっきのシルバーバーチの不満ですけど、P91の最後にもあります。 例えば時おり私がうんざりさせられることの一つに、霊界からの"高等な教え"ばかりを求めて、それを同胞のために役立てることをしない人がいることがあります。(P.91-92) 中にはこういう真理収集家みたいな人がいますよね。 ペ:たくさんいますよ。あれがいい、これがいいとたくさんの本を読んで自己満足している人がね。 有希:私の知り合いにもいますけど、次から次へと色々な本を読むんです。でも一回読んだだけで終わりで、中身が何も残っていないんです。ただ読んでいいことを知ったというだけの自己満足なんでしょうね。 ペ:そうですね。小説を読むみたいな感じで、単なる娯楽の一つになっているというか……。結局色々な事を知っていても、それを活かさなければ意味がないし、そればっかり読んでいるのは現実逃避なんかじゃないかという感じがします。 長田:きっと高い霊から見ると、うんざりするんでしょうね。 有希:そうですね。友人の一人に自分の人生を何とかしたくていろいろな宗教に入ったんだけど、そのたびに足枷が出てきて、どんどん暗くなってしまった人がいます。結局宗教は辞めたんですけど、いまだに暗いままでいます。その人は、すごい量の本を読んでいますから、知識としては膨大なものを持っているけれど、結局真理を基盤にして判断するんじゃなくて、自分の考えで判断しているから何も変わらないんでしょうけど。 長田:暗いというのは性格が暗いということですか? 有希:いえ、何かから抜け出したくて悶々としているんだけれど、その何かが自分でわからないという暗さですね。そこから抜け出したくってあちこち行ったり、たくさんの本を読んだりしていますけど、何の救いにもなっていないんです。真理が全然活かされていないんですよ。この人はたぶんこのうんざりさせられる一人だなと思います。 長田:そういう人はどうしたらいいんですか? 有希:さあ、私にはわかりません。私も何も言いようがないもの。 ペ:まるで、あちこちでナンパしてホテルに行って、一人の女性とは2回以上セックスしないという人みたいな……あれ?(一同沈黙(^^;) 長田:よく宗教を転々として求め続けている人もいますよね。 有希:結局はどこへ行っても満足しないんですよね。「どうして欲しいの?どうなりたいの?」と聞いても本人もよく分からないみたいです。わからないからきっと苦しいんでしょうけど。 ペ:何か人間に深みがないんですよね。だから広く浅く何でもかんでもやる事ばかり考えちゃって、一つの事を深めていくということが分からないんじゃないかな。 有希:そうかもしれません。 長田:でもきっと、その人も何かを求めているわけだから、そこに当たり付かないんじゃないかしら。本人にしてみればとっても苦しいよね。 有希:そう思います。ボランティアでも何でもいいから真剣にやったら充実すると思うんだけど、それもしないし。 ペ:でもやっぱりシルバーバーチの霊訓を何回でも読み返して欲しいなぁ。変なの読んでないで。 有希:そうですね。私もシルバーバーチの言葉を載せていますけど、短い言葉でもじわじわと染み込んでくるものがあるんです。昔からよく写経というものがあるけど、こんな感覚かなって思ったりしています。 ペ:写経かぁ、やってみようかなぁ(笑)。僕、シルバーバーチの霊訓をテキストデータにしてパソコンに入れてるんですけど、最初はキーボードで入力してたんですけど、最近はOCRでやっちゃってるんですよ。手を抜いちゃあいけないよね。だいたい小説でも気に入ったものは2〜3回読むんですから、ましてや霊的な本となると何回でも読まないと理解できないですよね。分かったつもりにはなれるかもしれないですけど。 有希:そう、つもりというのは違うんですよね。本物になっていないということですものね。 人間は戦争が起きると「なぜ大霊は止めさせないのか」とか「なぜ未然に防いでくれないのか」と思うようですが、大霊の摂理を無視している以上、責任は人間自身にあるのです。(P.92) ペ:僕もここは付箋が貼ってあります。シルバーバーチでは良く出てくる事ですが、すごく基本的で大切なところですから、一応押さえておいた方がいいと思います。分からない人もいますから。 有希:そうですね、何か不幸な事が起こると「どうして私だけ? 私は何も悪い事をしていないのに何でこんな目にあわなければいけないの?」とよく言いますよね。でもやっぱりそれなりの原因があるんですよね。今だけの人生で考えるとすごく不合理なんだけど、長い目で見たらなるべくしてなったという、ただ自分が知らないだけ、原因を忘れているだけだとね。 ペ:結局、自分達でそのようになるようにしているわけだから、それを無理やり起こさせないようにするというのは、自由意志を認めないということになるわけで、それはそれで文句が出るようになるはずです。それに関連しておもしろい事が、P94の後ろから3行目 それを学ぶにはいろいろな道がありますが、苦痛と落涙、流血と悲劇を体験しないと学べないというのであれば、それもやむを得ないでしょう。私としては、出来ることなら愛と奉仕の精神を通して霊的資質を発揮する中で学んでほしいところです。しかし、それが出来ないとなれば、摂理に逆らった手段によって痛い思いをしながら学ぶしかないでしょう。痛みという代償と引き換えに学ばなければならないということです。(P94-95) どっちの道を選ぶかというのは、その本人の霊性のレベルとか知識の有無によるんでしょうけど、できれば愛と奉仕の精神を通して学ぶ方に入りたいですよね。 有希:そう思います。今の日本人ってなんだかんだと言ってもすごく幸せですよね。アフガンやカンボジアのことを考えると「日本に生まれてよかった」と思います。でも日本人に生まれて楽な生活をしているということは、それだけの事を以前にしてきているからだと思うんです。それ以前はもしかしたらもっと苦しい生活をしていたかもしれないし、だから今だけを見るとすごい差があるんだけど、トータル的にみたら同じじゃないかとね。もし以前のことを覚えていたら「私達はあなた達よりもっと苦しい生活をしていたのよ」と言えるかもしれないし。 長田:そのことでP93の真中あたりですけど、 その摂理に逆らった生き方をする人は、一個の人間であろうと大勢の集団であろうと、民族全体であろうと国家全体であろうと、いつかはその代償を支払わねばなりません。(P.93) この民族とか国家というものにもカルマがあるのだろうなと思います。だから日本に生まれて、昔はもっと苦しかったから今があると言えるのかもしれないけど、逆に今はいいかもしれないけどひょっとしたら将来はわからないですよね。だから、アフガンはすごく根が深いような気がするんです。 有希:そう、あっちは根が深いですよね。聖書の中にあるんですけど、イエスが捕らえられた時に、ひどい罪悪人がいて、その人を磔にするかイエスを磔にするかということで、民衆はイエスをと望んで、その時の総督が「この人は何も悪い事をしていない」と言ったら「その罪が自分と自分の子孫に降りかかっても構わないからこの人を磔にせよ」といったくだりがあります。要するにイスラエルのそういうもともとが、自分達の子孫に降りかかってもいいという契約を交わしてしまったみたいところがあるということですもんね。もちろん今の人達は自分達とは直接関係がないと思っているかもしれないけれど、そういうことに代表される事が結構あるんじゃないかと思います。 ペ:ま、自分の先祖やら過去世やらは今さらどうにもなりませんが、今は少なくとも日本に生まれていれば誰でも摂理に沿った愛と奉仕の道で学べる可能性は大きいと思うので……でもそうじゃない人が結構多いですから。知らない人はそれなりに苦しんで成長するのだろうけど、そうじゃない方がいいですから、勉強して欲しいですよね。 有希:そうですよね。P94の2行目 摂理に従うか否かはあなた方の選択に任されています。(P.94) 全てが自由意志で自分が選択できるわけだから、霊的に成長できる道を選ぶのも自分だし、堕落する道を選ぶのも自分なんですよね。最後は自分自身ですから。やっぱり自分を救うのは自分しかいないなとつくづくそう思います。 長田:そうですね、その責任を取るのも自分ですからね。 有希:アフガンの件にしても、アフガン自身の問題なんですよね。アメリカが介入してもしなくても問題は終わらないわけですし、あそこの人達があそこの中で解決するしか方法はないのかもしれないです。 では感想で終わりにしましょうか。私からいいですか。 ペ:でもたまにはそういうのもやりたいな。会社の人が無口な人間ばっかりなんで、飲みに行ってもシーンとしてるんですよねぇ。別に仲が悪いわけではないんですけど、まぁ、他ならぬ僕自身もほとんど喋らないんで……類が友を呼ぶというか。特に僕は自分の関心の半分以上を締めているものの話が出来ないから、会社では無口な人になっちゃう(笑)。 長田:そうですか。人それぞれなんですね。私も霊的真理を知ってから、この世の事というか一般的に言う楽しい事をしていても楽しいと感じないようになりましたね。この世的な事は何をやっても魂が満足しないんですよ。では一体何をしたら魂が満足できるのだろうかと考えると、やっぱりシルバーバーチの言うように、自分が道具として使ってもらっている時かなと思うんです。私達はその満足を求めていつまでも歩み続けて行くんだろうなと思います。 ペ:それはそうですね。僕も心霊学研究所のサイトを充実させて、訪問者が増えて、それが縁でシルバーバーチと出会う人が出て来て……って、スピリチュアリズムの普及に貢献しているという、この満足感はナニモノにも代えがたいですもん。でもまぁ、たまに俗世間的な楽しみもね(汗) |