心霊学研究所
Silver Birch Companion
('00.12.19登録)
「あなたが、もういいのに、と思われる気持は私にはよく理解できます。でも、彼には詫びの気持を述べずにはいられない事情があるのです。懺悔《ざんげ》をするということは、あなたに対してというよりは、彼自身にとって意味があるのです。 『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』近藤千雄訳・ハート出版刊(P.63) |
いわゆる“悪いカルマ”だとか“カルマを切る”などという言葉を使う霊能者・心霊研究家がいる。しかしスピリチュアリズム的にカルマのことを言うと(仏教的解説とそれほど違いはしないと思うが)、良かろうが悪かろうが、カルマとは自分自身の行為の蓄積であり、それを切ることも、逃れることも、ましてや自分の実情から遊離した“良いカルマ”をどこからか持ってきてくっつけることも、一切出来ることではない。 しかし、それは果たして恐ろしいことだろうか? カルマから逃れられないとは、嫌なことだろうか? 断じて違う……と、思う。カルマ(自分の行為)から逃れられないということは、裏を返せば、自分の行為の責任を必ず取ることが出来る、必ず償いのチャンスを与えられるということなのだから。 例えばここに、何かについて後悔の念を持つ者や、誰かに対して懺悔の気持ちを抱えながら、それを伝える機会を失った者がいると想像して欲しい。彼らはその償いのチャンスが与えられる事を嫌がるだろうか。いや、心から喜び、歓迎するのではないだろうか。 カルマを疎ましいと思うか、福音と感じるか、それは、個々の心の有り様によるだろう。が、一つだけ確かな事がある。それは、スピリチュアリズムの知識を持つ者なら、その働きに“愛”を見いだすことが出来るだろう、ということである。 |