心霊学研究所
Silver Birch Companion
('01.04.23登録)

Silver Birch Companion(24)


 

メンバーの一人が、最後の審判日を待ちながら死体の埋葬されている墓地で暮らしている霊がいるという話を聞いたが、そんなことが本当にあるのかと訊ねると----
「事実その通りなのです。それが私たちにとっての厄介な問題の一つなのです。教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているものですから、自分からその考えに疑問を感じるようにならないかぎり、側からはどうしようもないのです。
 死ねばガブリエルのラッパが聞こえるまで墓地で待つものという想念体を、全生涯をかけて作り上げてきているわけですから、その想念体が崩れないかぎりは、いつまでもその牢獄から脱け出られないのです。」

『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』近藤千雄訳・ハート出版刊(P.70)


One of the circle told Silver Birch of the experience of some Spiritualists who had been able to help a number of spirit beings who said they had been living in the cemeteries, waiting with their bodies for the Judgement Day. He asked whether such a thing was possible.
"It is quite true, " replied the guide. "That is one of our great troubles. They expect these things and nothing can be done with them until they learn to change their thoughts. For practically their whole earthly lives they have moulded the thought form that, when the body dies, they will wait until the Angel Gabriel sounds his trumpet. And until they can destroy, with adjustment, the power that they have created it holds them in that prison.

原書 "Silver Birch Companion" (P.43)

 

実際に死んでからでさえ気付かないのだから、生きていては判らないわけです。いや、これは言葉のあやで、実際のところは「この世にいる」間のほうが気付きやすいはずですが……。

それにしても、「天国へ行くための信仰」「幸せになるための信仰」がもたらす、何と皮肉な結果でしょう。一生を掛けて、自分を閉じ込めるための牢獄を自分自身で作りあげてしまったのですから。

“どこか”にあるはずの天国に行くために。
“どこか”にいるはずのサタンを恐れて。
“どこか”にあるはずの地獄に行かずにすむために。

しかし、天国も地獄も、“どこか”にあるのではなくて、自分の中にあった、ということなのでしょうね。

ところで、こんなことを書くとスピリチュアリストではない人たちから
「でも、スピリチュアリズムだって違う形の牢獄を作っていないとは言えないんじゃないの?」
という声が聞こえてきそうですが……。

うん、それはそうかもね(^^;。……確かにそういうことが無いとは言えませんから、たとえスピリチュアリズムと言えど、既成の宗教の人たちみたいに頑《かたくな》にそればかりに凝り固まるのではなく、柔軟な魂を育てて行く必要性はあると思います。そしてスピリチュアリズムというのは、そういう柔軟性を維持しつつ、同時に信仰心を深める事も可能な“教え”なのではないか。そんなふうに、僕は考えています。

 


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