'06.06.01(木) 翻訳比較 ヤフー用に書きかけたんですが、著作権的にどうかと思ってあちらへの投稿はひかえていた文章です。まだ翻訳の話でアクセスは伸びなくもないようなので、もうちょっと引っ張ろうかな、と(^^;。 同じ原本の二種類の翻訳を、近藤訳に言い掛かりをつけているグループ風に比べてみました。原書は持ってないので日本語訳同士の比較ですが、やっていることのアホらしさは、原文と対比するまでもなく分かると思います。 まずは1966年に出版された小西宏さんの翻訳。 『銀河パトロール隊―SF 創元推理文庫 603-1』 「レンズは、それを帯びる者以外の何者によっても、除去することはできない。無理に除去すれば、分解するだけだ。正当な所有者が、それを帯びているかぎり、レンズは成長する。が、所有者が死ぬと、その瞬間にレンズは成長をやめて、ただちに分解してしまう。また----そして、ここにこそ、レンズマンの非人格化をまったく不可能にするものがあるのだが----レンズは、偽者によって帯びられるときは、単に成長しないだけではない。かりにレンズマンが捕虜となって、彼のレンズがはずされたとしても、ある生物がこれを身につけようとすれば、数秒のうちに、その生物を殺してしまう。それが成長をつづけるかぎり----つまりそれが生きた所有者との循環状態を保つかぎり----無害だ。しかし、不当な状態のもとでは、その擬似生命は、これと調子の合わないいっさいの生命に強力に干渉して、その生命はやがて破壊されてしまう」(P.26) 次は2002年の新訳です。 『銀河パトロール隊―レンズマン・シリーズ〈1〉 創元SF文庫』 「レンズはその着用者以外の何者によっても、腕を切断でもしないかぎり、とりはずすことはできない。正当な所有者が着けているあいだは輝き続けているが、所有者の死の瞬間にそれは光を失い、ただちに分解してしまう。また----これによってにせレンズマンの出現は不可能になるのだが----にせものが身につけたレンズは輝きを失うばかりではない。もしレンズマンが生きたまま捕らえられ、レンズがはずされると、そのレンズはそれを身につけようとしたいかなる生物をも数秒のうちに殺してしまう。それが輝きつづけるかぎり----つまりその所有者との交流があるかぎり----それは無害だ。しかしいったん光を失うと、その擬似生命は、適合しないいかなる生命体にも強力に干渉して、その機能を破壊してしまうのだ」(P.22) 上の小西訳が古くからあるもので、小隅さんの新訳でも参考にされているようです。基本的に小西訳の方が直訳に近いと思われます。 さて、この二つを見比べてみると……いきなり「腕を切断でもしないかぎり」などというのが付け加えられていますね。これはひどい捏造です(笑)。もしくは小西訳の方が省略してしまっているのか。これひとつだけを見ると思想的な悪影響の少ない種類の改竄のように思えるかも知れませんが、「腕を切断」などのような猟奇的な表現が度々出てくると、読者に与える印象はずいぶん違ったものになりますよね。(途中からコピペです(^^;) 片方ではレンズは成長するもの、もう一方では単に輝くものになっています。どちらかが歪曲しています! 「これにこそ」と「これによって」では意味が違ってきます。「〜こそ」を付け加えてしまったのか省略してしまったのかは分かりませんが……。これは歪曲とは言えませんし、とんでもない大問題でもありません。はっきりいって枝葉にすぎません。しかし、たとえ枝葉であっても、このようなことが度々出てくると、読者に与える印象はずいぶん違ったものになりますよね。(「これは」以降全文コピペ(^^;) 不可能なのはレンズマンの非人格化でしょうか。それとも、にせレンズマンの出現でしょうか。これは恐らく小西訳が歪曲されていますね。偽者には人格を認めないとでも印象づけるつもりでしょうか。 「循環状態を保つかぎり」と「交流があるかぎり」 生命が破壊されるのでしょうか。生命体の機能が破壊されるのでしょうか。前者では形而上の生命のみが破壊されて植物状態になると考えることができてしまいますし、後者では肉体的に損傷はあるものの生命に別状はないと思ってしまうかも知れません(文脈を考慮? ナニソレ?(^^;)
……こんな感じで、ほとんど脊髄反射でいくらでも書けてしまいますね。こういう「理屈っぽいだけで論理的でない」近視眼的な文章は、いくら書いても脳みそは働きませんから、自分が的外れなことを書いていると気付くのは難しいんじゃないかと思います。論理的に起承転結を組み立てるタイプの人なら、書いている途中でおかしな部分に気付けるんでしょうけれども。 こんな揚げ足取りのような読み方は論外ですが、複数の翻訳が出ている本を読み比べて雰囲気の違いを味わうのは、なかなか面白いものです。わざわざ新たに買わなくても、シャーロック・ホームズものぐらいなら、どこのご家庭にも2〜3種類はありそうな気がします。引っ張り出して読んでみたらどうでしょう。最近著作権の保護期間が終わって何種類も出版されている「星の王子様」とかも良いかも(^^) ところで、ゆうさんがご自身のブログでヨシ=川=湧き水さんをドン・キホーテに譬えていましたが、ちょっと失礼だよね……いや、川さんじゃなくて、ドン・キホーテに。 確かにドン・キホーテはちょっとイッちゃってるけど、少なくとも自らの身を投げ出して命を懸けて敵と戦う騎士道精神は持ってます。勇敢さと誠実さも。それに引き換えあっちはどうだ。ヤフーの掲示板で「歪曲だ」などと中傷しておいて、反論されると分かるやコメント欄も無い自分のサイトに引きこもって安全圏から石を投げる始末……。そんなヘタレと一緒にするのは、ドン・キホーテに失礼とゆーものです! ぷんすか。 '06.06.02(金) 悠々塾の本 『癒しと愛は時空を超えて』 先週の日曜日に読了しました。アマゾンのカスタマーレビューを読むとあまりにも絶賛されすぎで、ああいうのを見ると、僕のようにヒネクレモノは却って身構えながら読んでしまうものです(^^;。が、思っていたよりも良かった、と思います。 前半は飯沼さんと堀江さんの闘病の記録と、それを振り返ってのお二人(堀江さんは霊界から)の対話。この通信が真正なものかどうかの判断は敢えてしません。一冊の本だけで判断できるはずもありませんし。ただ、霊界の堀江さんなら確かにこう言うんじゃないかな、とは思える内容でしたし、飯沼さんの素直な心情も書かれていて、過去に少なからず因縁のある身としては、しみじみしんみりしながら読むことができました。 縁と言えば、文中に出てくるコスモ・テンの社長の高橋さんは、僕も一度だけお会いしたことがあります。近藤千雄さんの講演会の時のことです。そのころの僕はまだ一学生に過ぎませんでしたし、かなり昔('91年の8月頃)のことですから、あちらは覚えていないでしょうけど。その少し後に高橋さんは、幸福の科学の大川隆法をマスコミで告発したりしていて、僕も陰ながら応援していたものでした(テレビで見ていただけですけど(^^;)。 ただ、それが近藤さんのポリシーに反することだったらしく、シルバーバーチなどの版権を引き上げられてしまったようです。近藤さんが仰るには「出版社の社長が宗教者を糾弾するなど許されない」という事だったようですが、コスモぐらいの小出版社の社長相手にそれはほとんど言い掛かりでしかないでしょう。高橋社長には気の毒なことでしたし、多くのシルバーバーチファンにとっても残念なことでした。コスモから出ていたシルバーバーチのシリーズが内容も装丁も一番良かったので。 閑話休題。後半は生前の堀江さんが受信した、指導霊団からの通信です。こちらも----部分的には首をひねる部分はあるものの----内容的には総じてマトモ。基本的にはシルバーバーチを読み込んでいる人達ですから、そう変なものは出てこないと思って良い、かな?(^^) 皆さんが、地上に生まれ、地上で生きる目的を思い起こしてください。神から頂いた神性を輝かせ、人と共に生き、ひとりひとりの輝きを響き合わせて、地上界を照らすために皆さんはここにいるのです。 だとすれば「本当の幸せ」----「自分らしく生きること」を願い求め、それに近づくことこそ、地上で生きる意味だといえましょう。つまり、皆さんひとりひとりが幸せを求める中で、支え合うことも、補い合い、思い合うことも、自ずと生じてくるのです。 正直に言えば、今でも僕は悠々塾に高級霊団が係わっているとは思っていません。が、それでも上記引用部分などはナカナカ良いと思いましたし、スピリチュアリズムが説くところの霊的真理を単なる受け売りではなく、自分たちなりに咀嚼して書かれたものとして読めば悪くない。っと言うより、江原さんの本なんかより余計な夾雑物も少なくてずっと良いと思います。更に言えば、近藤千雄さんのトンデモ本『心霊科学本格入門』よりも、こちらの方がずっとマトモ。 スピリチュアリズムの入門用に向く本ではないと思います。が、死に直面したスピリチュアリストの真実の記録は、やはり胸を打ちます。一通りの知識を持った人で、何か啓発されるものを求める方には、読んでみる価値は十分にあるんじゃないでしょうか。 '06.06.03(土) いろいろ 図書室を更新しました。日記で4月〜5月に書いた書評を移動しただけで、新しい内容はありません。 民主党、最低最悪です。共謀罪の民主党案、自民党が丸呑みしてせっかく成立できるところだったのに、自分たちで反対。自分でも賛成できないような法案を出してるんじゃないぞ! 結局与党に反対したいだけで、民主党が出した案なんて「たた反対しているだけじゃありませんよ」というポーズのため、自民党案を潰すためだけに出しているだけだったんでしょう。 試しに自民党には「教育基本法も民主党案を丸呑みする」って言ってもらいたいね。それで完全に民主党の化けの皮がはがれるに違いない。 ワールドカップのチケットが取れなかった旅行会社。支那の会社と契約していたそうで……そりゃダメだろ〜。国営の会社で信頼したって、あの国の場合は逆。国営の方が信用できません(断言)。どうせあっちの担当者が行方不明になっておしまい、誰も責任は取ってくれないでしょうね。 蛍を見てきました。家から車で5分ほど。まだ例年より数は少ないようですが、それなりにポツポツ飛んでいて、子供たちも「きれいだね〜」とはしゃいでました。 写真は蛍が舞い飛ぶ川。シャッター速度は7秒(1/7秒ではありません)。手持ちで撮っているのでブレてますが、微妙に蛍っぽい白い光があるようなないような……。お分かりいただけるでしょうか? '06.06.04(日) ドッジボール大会 今日は小学校のドッジボール大会。くららはボールを当てられたのに気付かず、審判に笛を吹かれて「当たってないのにーっ!」と号泣。僕が付いていたから、説得して場外に連れ出せましたが、普段の授業では放置されている状況ですね。 掲示板へのコメントで思い立って、次の内容を「箴言」に追加しました。ついでにあといくつか、と行きたいところですがエネルギーが……。 子曰く、郷原《きょうげん》は徳の賊なり。(陽貨篇17-13) 右のコーナーにGoogleの検索を付けてましたが、CGIのサイト内検索に戻しました。自分がGoogleを使いたい以外に何の意味もないような気がしたので(^^;。サイト内検索なら、やはりCGIで設置した方が圧倒的に正確ですもんね。 '06.06.07(水) スピリチュアリズムの新サイト 波川海騒動について、くーくさんのところに寄せられたご意見が紹介されています。これが素晴らしいので、ぜひ皆さんも読んでください。やっぱり分かる人には分かるんですよねー(^^)。6日の記事です。 さらに、この紹介されたメールの中で書かれていた「東京スピリチュアリズム・ラボラトリー」というサイトを初めて知って、さっそく行ってみました。おうっΣ(゚д゚;、本当に梅原伸太郎さんが参加してる! 梅原伸太郎と言えば、現代日本のスピリチュアリズムを代表する人物です。僕的には「西の近藤。東の梅原」というぐらいで(^^)。まだ開設間もないようでコンテンツも豊富とは言えませんが、中身の質は間違いなく高いです。ぜひみんなで読みに行きましょう。そして「こんなに訪問者があるなら、もっと更新しなければ」と思わせるんだ!(笑)。 '06.06.09(金) ラーメン特集(何でやねん)その1
最近のお気に入りのラーメン屋さん。名古屋のラーメンサイトを見ると、ここのスープには醤油説と塩説があるらしい。どちらかは微妙なところで、僕は最初は醤油説だったんですが、最近、この繊細な味の基本は塩ではないかと思い始めています。まあ、どっちでもいいですが(^^;。ともかく、あっさりした味のとても美味しいスープ。ビジュアルも美しいですね。今日はプラス50円でピリ辛に。 麺はよい香りと適度な歯応えで、縮れ麺なのも僕の好みにピッタリです。チャーシューは、ほどよく口の中でくずれて、かすかな香ばしさもあって美味しい(スピリチュアリストの癖に肉食は……とか言うのはひとまず忘れて)。 麺を食べ終えたら、備え付けの朝鮮人参漬もしくはニンニク漬の酢を少し垂らすと、さらにサッパリしたスープが楽しめます。最後の一滴まで完食完飲。何度食べに行っても、いつも最後の一滴まで飲み干してしまいます。健康に悪いとは思いつつ(^^;。 会社から歩いて十分ほどのところなので、ちょっと行列ができていると昼休みが終わるまでに会社に戻れない危険があり、頻繁に行けないのが残念。ところが、今日は珍しく空席が。駐車場が無いから?(と、最後に時事的な話題も盛り込んでみました(^^)) '06.06.10(土) ラーメン特集(その2) 地元であっさりしたラーメンで美味しいところは?と言えばここ。化学調味料を一切使わない鶏と貝柱、数種類の昆布(たぶんそうだったと思う(^^;)でとったスープは和風の味わい。えっ、これがラーメン?とまで言っては大袈裟かもしれませんが、最近氾濫する油ギトギトのラーメンとは一線を画すハイレベルな味。繊細さでは昨日の一徳を上回るかもしれません。塩ラーメンはかすかに黄金色の透き通ったスープで、食べるのが勿体ないほどの美しさです。
がっ(^^;、普通のラーメンは昨日(一徳さんで)食べたばかりなので、今日は冷やしつけ麺で。キンキンに冷えたツユは柑橘系の強い香りが食欲をそそる未体験の味。固めに茹でられた麺は歯ごたえも喉越しも心地よく、濃い味の----しかし決して醤油辛くない----つけダレもよく絡んで、いくら食べても飽きることはありません(ザルそばとかだと途中で飽きることが多い僕です(^_^;ゞ)。大盛りでしたが、あっと言う間に完食。替え玉が欲しい(^^;。つけだれも飲み干したいぐらいでしたが、妻に怒られそうだったので我慢(笑)
妻が頼んだのは「鶏油《チーユ》ラーメン(塩)」。基本の塩ラーメンに鶏油をトッピングした感じでしょうか? いかにも和風なただの塩より、ちょっとだけ普通のラーメンっぽい感じ。煮玉子やタケノコも味が染みて美味。タケノコもそうですが、水菜やカイワレが入っているのも、ちょっと珍しいんじゃないでしょうか。チャーシューも、丼に入れる直前に炙られたもの。一杯一杯に、丁寧な仕事ぶりが光ります。
これは子供たちが食べた醤油ラーメンです。 '06.06.11(日) 田植えをしてきました。 町内会で、子供に田植えをさせてくれるというので行って来ました。ちょっと雨が降ってましたが、どうせ泥だらけになるので関係ありませんね。子供は20人以上集まって、横一列に並んで苗を植えていきました。
数枚写真を撮ってから僕も田植えに参加。以降、みんな揃って泥だらけになったので、僕が植えている写真はありません(^^;。 昨晩の時点では、下の娘は「行きたくない」と言って泣いていたぐらいだったんですが、いざ始めるとノリノリで、帰り道では「楽しかった」と満面の笑みでした。やっぱり子供は泥んこになって遊ぶのが楽しいんですよね。素足にひんやりとした田んぼの泥の感触も気持ちよかったですし(^^)。 '06.06.12(月) 川氏による「翻訳歪曲問題」の捏造について(1) ええと、もうそろそろ川氏歪曲問題は終了のつもりだったんですが、くーくさんへの反論(と称するもの)があまりにもヒドかったので、もう少しだけ続けます。くーくさんって繊細な人ですから、あんなコメントされてオロオロしてるんじゃなかろうか、ましてや反論など、と思ったので……まぁ、余計な心配かも知れませんが(^^;。 っで、「波川海」へのコメント書こうとしたらチョコチョコ書き換えられてるし……。「そんなことは言ってません。過去ログを調べてください」みたいなことを言いやがるなら、後から書き換えるんじゃないよ。なんだかもうね、本ッ当に、人として信頼できませんね、あの人は(*´・ω・)(・ω・`*)ネー。ま、あんなふうじゃ、確かに他所の掲示板では議論できませんわな。都合の悪いことを書き換えられませんモノね。 ってなわけで、以下のコメントは基本的に、8日頃に保存したバージョンに基づいた反論であります(´・ω・`) しかし、この指摘をしている方は、私を名指しして批判・論評を展開していますが、ご自身が誰であるかは明らかにしていません。また、この方はこの指摘の中で公の場における「責任」についても説いています。人を名指しして批判・論評し、また、公の場での「責任」を説くからには、自分は誰であるかを公の場で全ての人に分かるように示すという基本的な「責任」を果たす必要があると思います。 ……と言っているこの人も、自分が一体ドコのダレなのかを明かすことなく、実名で活動している近藤千雄さんを批判しているんですが……これってもしかして笑うところ?(ちなみに僕も少し前まで本名を出してましたが、子供のこともあって出さないように方針転換しています) たかだか3〜4年前からハンドルネームで発言を続けているだけで“俺様を批判するならお前は誰だか公表しろ”とは驚きです。 また、川さん自身が「自分は誰であるかを公の場で全ての人に分かるように示すという基本的な「責任」」を果たさずに他人を批判しているという欺瞞に目を瞑るとしても、この発言には奇妙な感じを受ける方は多いと思います。 そもそもネット上の議論とは、誰が言ったかではなく、内容が正しいか、論理的かを精査すべきものです。発言者の実生活での地位も年齢も関係ない。たとえ実名を明かしていようが間違っている物は間違っているんですし、2ちゃんねるの名無しだろうが正しいものは正しい。ただ一つ必要なのは“自分の発言に責任を持つ覚悟”です。 一般に捨てハンや名無しでの発言が嫌われるのは、捨てハンによってその“覚悟”を放棄していることが類推できるからでしょう(複数のハンドルで自作自演をするのも同様)。ですから今回のケースでは、元はメールであるとのことですし、「匿名で批判している」との批判は当たらないと考えるべきでしょう。次回以降の発言で、前回と同一の人物であるということが明示されれば問題ありません。にもかかわらず、外面的な形式のみに囚われて批判をしているから、この川さんの発言は奇妙なわけです。 問1 シルバーバーチは逐語訳でないと学べないとの主張は、翻訳の本質をわきまえない極端な考えだと思います。 この人の“検証”というのは結局、逐語訳して見せて「この単語が」「あの単語が」というレベルの話しかしてないので、それで「逐語訳でないとダメだなんて言ってない」と言われても全く説得力がありません。おまけにそれさえも反論され尽くしているのが現状です。その結果、検証のために提出された訳文より近藤訳の方が妥当であるという結論も出ているわけですが、都合の悪いことは知らんぷりですか? 反論のコメントが書かれない自分のサイトに引き籠って「近藤氏の翻訳手法に問題があること」は「既に決着のついた問題」なんてやっていたのは、しばらく後で知りましたが……目が点になりました(苦笑)。いや、しかしこの程度では今更驚くには当たらないのかもしれません。例えば、歪曲翻訳を糾弾するつもりが自分の誤訳を指摘されて「定石的にはそのような訳もありますね」なんて苦しい言い訳をしていたことからも分かる通り、この人は本当に、自分の間違いを一切認められない人間なんです。 (続きます) '06.06.14(水) 川氏による「翻訳歪曲問題」の捏造について(2) 日本負けちゃいましたね。まぁ、偶然入ったような1点だけでは、あれで勝ってしまったらそれはそれで後味が悪かったような気も……。終始押されっぱなしでシュートの数も全然違ったし……。次のクロアチア戦に何とか勝って、その頃には決勝進出を決めているブラジルがジーコ監督に敬意を表して負けてくれるのを祈り……いやいや、そういう事を言ってはいかんよね。 さて、続きです。 問3 検証を行うのは自由かもしれませんが、それを公に発表するのは自由かどうかは分かりません。 心配しなくても、人間には“その能力に応じた責任”しか負わされることはありません。“自分だけが気付いた真実”を述べる責任を感じるのは勝手ですが、本当に自分にそんなことを検証するだけの能力があるのかを省みる責任があったはずです。万一にも無根拠の誹謗中傷をするなど許されませんし、取り返しもつかないのですから(一度広がってしまったイメージを変えるのは困難です)、そのようなことが絶対にないと言えるだけの確実な検証、何重ものチェックをする能力が自分にあるのか。それでもなお確実だと確信したものでなければ「発表する責任」ではなく「発表しない責任」があったはずです。 更に言えば、反論が出た時に再検討する責任。明らかな間違いを指摘された時に認める責任。自分より英語力のある人間に否定されたことを謙虚に考える責任。反論が続出している以上「近藤氏の翻訳手法に問題があること」は「既に決着のついた問題」などと断言的に書くのは控える責任。ネット上で発言を続けるほとんどのスピリチュアリストからの批判の数々に「もしかして間違っていたのは自分のほうだったのかも?」と反省してみる責任。……果たすべき責任は数え切れないほどあります。 それらの「責任」を放棄して、「真実を述べる責任」? 違うでしょう? 自己顕示欲に負けただけです。「英語が読めて、近藤翻訳の問題点だって分かっちゃうボクちゃん。ダビンチ・コードだって原書で読めちゃうんだもんね。エヘン」という、底の浅い自己顕示欲に、ね。 また、自分のブログ、サイトを持っているのならば、他の人の場所を使うのでなく、自分のブログ、サイトで語る自覚、責任感も必要だと思います。 異論が噴出するような問題を扱うならば、自分のサイト(含ブログ)で一方的に意見を垂れ流すのではなく、他者の反論を受け付けることこそ必要な「自覚、責任感」のはずです。そのためには、自分のサイトでやるならばコメント欄なり掲示板を設置する必要があるはずですし、それができないならヤフーなり、環境の整備されている他の掲示板を使うべきです。 その点、コメント欄も何もない自分のサイト(ブログ)に引きこもり、自分が誰であるかについても結局ハンドルを出すのみ(おまけにコロコロ変えてるし)で、実名で人生を賭けて活動している翻訳家を糾弾している訳ですから、あまりにも無自覚、無責任と言うべきでしょう。さらに呆れるのは、その自分自身の無責任さに無自覚な事だったりするわけですが(苦笑) 近藤千雄さんの活動についてこれだけは言っておきたいのですが、「人生を賭けて」というのは決して大袈裟な話ではありません。スピリチュアリズムの本など何十冊翻訳しようが大して売れるもんじゃありませんから、数年前まではお子さんを進学させるのにさえ借金をしなければならないほど貧乏していたようです。一時期、近藤さんの金銭問題(借金が返済できなくなったとか)で騒いでいた人もいましたが、決して贅沢して借金が膨らんだのではなく、本当に困窮して、どうにもならなかったのでしょう。 世の中には、適当に妥協して大衆受けするように真理の方を曲げて上手いことやってる人もいます、誰とは言いませんが(-"-;。近藤千雄さんは実直過ぎたんでしょうし、不器用でもあったかもしれません。しかし、少なくとも僕は、そのことで近藤さんを責めることなど出来ません。むしろあれほど日本のスピリチュアリズム界に献身してくれた恩人が借金苦に陥らなければならなかったことを、日本のスピリチュアリズム界の片隅に身を置く者の一人として申し訳なく、また恥ずかしく思います。それが人として当然の気持ちでしょう? ところが、それどころか、自己顕示欲に駆られて軽々しく「歪曲」だなどと中傷する賢《さか》しらぶった輩ども! 僕はそういう卑しい連中は絶対に許せませんし、許しません。恥を知れ。 また、他のスピリチュアリズムに関するサイトで「名誉毀損」の事例がないかも同時に精査するようお願いします。 「やってるのは俺だけじゃないぞ!」ですか? 子供みたいなことを言う人ですね。「人は人、自分は自分」と、おばあちゃんに言われませんでしたか?(^^; (更に、つづく) '06.06.16(金) 川氏による「翻訳歪曲問題」の捏造について(3) アルゼンチン、えげつないぐらい強かったですねぇ。僕が帰宅してテレビをつけたときはまだ3-0でしたが、あれよあれよと6-0に。マラドーナの喜ぶまいことか(^^;。で、今日の次の試合はドイツだ? オランダ(あんまりダジャレにもなってないか)。 さて、続きです。 問4 外国語の語学力と翻訳能力が優れている人が指摘されるのでしたら説得力があるのでしょうが、十分な説得力がありません。掛け算の九九を覚え始めた小学生が「フェルマの定理」の検証を行おうとしても不可能だったでしょう。 スリカエですね。権威の話をしているのではありません。能力の話をしているんです。もちろん、権威を持つ人物がそれなりの能力を持っている可能性はその他の一般人士よりは高いと考えられますので、敬意を払うに吝かではありません。が、権威のあるものが必ずしも正しいとは限らないというのも、この世の常ではあります。以上は当然の前提。 しかし「フェルマーの定理」を小学生が解くのは不可能(絶対にありえないとは言えないが、可能性は低いでしょう)である、というのは権威の話ではありませんよね。「フェルマーの定理」など単なる数学の式に過ぎません。数学の式に権威など存在し得ません。あくまでも「小学生には解けない」という、能力の問題です。 同様に、権威である(と川さんが思っているだけだと思いますが)近藤千雄さんの翻訳を一般人が批判するなど許されない……のではなく、その検証として出たものが稚拙な間違いだらけのものだったり、「検証する」と名乗りを上げた人達が「英語は苦手ですが」「英語力は中学生なみですが」という調子だったから、そんなことで、他人を批判するなど許されないと言っているわけです。これらは権威の問題ではなく、能力の問題です。出来るはずもないことを出来ると自惚れて、公の場所でデタラメを言うな、ということです。 結局、「フェルマーのなんたら」とか言われても、何の事だか自分には分からない話だったから、反射的に「権威」を感じてしまったのではないですか? こういう反応を見ると、この人は徹頭徹尾、自分がやっていることの程度が分かっていないんだな、と思ってしまいます。あのレベルで「検証」などという言葉を使ってしまうところと言い……そういえば自分の発言を「学術的」なんてことも言ってましたよね。どこが“学術的”なんだか、僕にはさっぱり分かりませんが(^^;。「自分が権威になりたい」という願望が投影されているんでしょうか? 問5 川さんの検証では、「誤訳だ」という断定口調になっています。断定すべきものではないと思います。 「断定すべきではない」という問いに対し「だけではいけない」にすり替わってます。いつもこんなふうに「言葉が足らなかった」「適切ではなかった」という問題にすり替え、矮小化し、絶対に自分の間違いは認めないという、この人の行動様式のサンプルの一つです。 「知は、自分自身の確実さに固執する独断論ではあり得ない」……ヘーゲルの言葉です。学術的を名乗るなら、奇弁を弄して言い逃れるのではなく、どうぞ批判・否定され、乗り越えられることに耐えてください。それこそが知の根本条件であると、近代的な学問の体系を築いたヘーゲル大先生は喝破しておられますぞ(^^;。 問7「今までのネット上のスピリチュアリズム界では、特定の人や団体に対して人格攻撃、非難、罵倒をすることがしばしばあった。このようなことに対しては問題視せず、近藤氏訳の検証に対してだけ非難するのはフェアな姿勢とは言えない。」と川さんは「波川海の目的」で主張されていますが、 多くは「批判」であって、「非難」ではないと思います。 これは僕のことを言っているのだと思われますが(笑)、ええと、僕が再び以前のように実名を公表したら、匿名で書いている川さんは心霊学研究所関連の批判は全て削除するんでしょうか? それとも川さんご自身も実名と居住地(市区まででOK)を公表するんでしょうか? っと、そんなことはどうでも良いのですが(^^;、何でもその場で検証してからでなければ批判できない(過去に書いたことのある場合や、書くまでもなく明白な場合など、いきなり批判する場合があるのは事実です)のであれば、川さんに措かれましても、問題の過去ログを示した上でこういうことは言わねばならないハズではないんでしょうか? 漠然と「他のサイトの過去ログ」では、全く話になりません。つまりここでは(他のところでもいつもそうなんですが)ほかならぬ川さん自身が、根拠を上げずに「人格攻撃、非難、罵倒をすること」をしているわけです。 また、心霊学研究所のペーパーバーチという人物が、批判だけでなく、時に罵倒表現を使って非難することがあったとしても(その判定は皆さんにお任せしますが(^^;)、それを以って「今までのネット上のスピリチュアリズム界」などと極端な一般化をするのは、好意的に表現しても「視野が狭い」でしょうし、悪く言えば「誇大妄想」。 この手の極端な表現は、ヨシさんとして現れた当初から見られた特徴でした。恐らく本人も気付いていないでしょうが、自分を大きく見せたいという自己顕示欲ゆえのことであろうと思われます。そして、その自己顕示欲を満足させるのに、日本のスピリチュアリズムの権威である(と川さんが思い込んでいる)近藤千雄さんは恰好の標的だったことでしょう。 更に言えば、ここでは「ネット上のスピリチュアリズム界」と言っていますが、以前は「日本のスピリチュアリズム界」なぁんて言ってたんですよね(心の道場がらみでも同じことを言ってましたが)。サンプルは恐らくせいぜい2〜3カ所のスピリチュアリズム系サイトのみ。そのおかしさを以前に僕が指摘していたのを思い出したのか、他の誰かに言われたか、「日本の」とは「ネット上の」ことだなんていう注釈が付け加えられたようですが、不適切であることに変わりはありません。やっぱりこの人って、自分の間違いを全く認められない人なんです。 私が波川海に書いた「排他的・独善的傾向が強い日本のスピリチュアリズム界」とは「ネット上の日本のスピリチュアリズム界」の意味です。5月12日の投稿にもこのことを追記として明記します。 おっと、すぐ後に書かれていました。で、「ネット上の」ってどの範囲を見てるんでしょう。ドコとドコとドコを見て言ってるの? っで、そのサンプル数は「日本の」と形容することが可能な数と言えるの? この質問、以前にもヨシさん(だったころ)にしたことがありましたが、答えは返ってきませんでした。このホラ吹きさんは、目に付いた2〜3人を見ただけで「日本の」すべてを推し量ったつもりになっているんでしょう。そうすることで「日本のスピリチュアリズム界全体の問題を考えている自分」という、虚栄心も満たせますしね。 もちろん非常に残念な事ですが「排他的」で「独善的」傾向の強いサイトはあります。「波川海」って言うサイトなんですけどね……(笑)。 以上で6月7日分へのコメントは終了。次は2日の方を俎上に載せます。が、長くなるので改めて。 (つづく) ※つづきを書くのを忘れてました。今更なので続きは書かないかも知れません(^^; '06.06.19(月) W-CUPクロアチア戦 柳沢という選手はどうなっているんだ? 「急にボールが来たので」とか言っていたぞ。たぶん彼は何者かの陰謀で「自分は野球選手だ」みたいな催眠術をかけられているんじゃないか? 誰か彼の催眠術を解いて、サッカー選手だって思い出させてあげてください。 もしくは兄弟や両親が人質になっていて、シュートが決まってしまうと皆殺しにされるとか?(アシストなら大丈夫とか?) そういえば君が代を歌ってない奴もいたぞ。口を真一文字に結んで。おまえに日の丸を背負う資格はない(怒)……誰かは知らんが(´・ω・`) '06.06.21(水) 日本は弾道弾から身を守れない(1) 北朝鮮がテポドンの発射準備をしているということなので、もしも日本がミサイル攻撃されたら、現行憲法下での防御、もしくは反撃の方法はどうなっているのか、僕の聞きかじりの範囲で(笑)考えてみたいと思います。ただ僕も大して詳しいわけではないので、間違っていたらご容赦。ま、自分用のメモのつもりで。 さて、北朝鮮から日本にミサイルを発射するとします。図のAが、北朝鮮から日本を狙う古典的な弾道です。ノドンの場合が、こんな感じでしょう。これなら最新の迎撃システムが配備されていればある程度は防げる……かもしれません(まだ配備されていなかったと思います) しかしテポドンのような長距離弾道弾の場合は成層圏外まで打ち上げられ、300kmもの高高度から高速で落下してくる(図の弾道B)ので迎撃は困難です。打ち落とすなら発射されて間もなく、降下を始める前まででなければ手遅れです。 ここで問題になるのが日本国憲法です。現行憲法下の自衛隊がそれを行うことは許されないのです。何故なら憲法九条により、自衛隊が集団的自衛権を行使することは禁止されているからです。つまり、テポドンの軌道は迎撃が困難な段階になるまで、米国を狙う弾道(図のCです)と見分けがつかないため、仮にそれを迎撃してしまうと集団的自衛権を行使したことになってしまう……米国を攻撃するミサイルを打ち落とすのは憲法違反なのです。 ということは、憲法九条がある限り、日本はミサイルを打たれ放題ということなんですね。 (長くなるので、つづく) '06.06.23(金) 日本は弾道弾から身を守れない(2) (承前) もっとも、いくら憲法云々、また「1発だけなら、誤射かもしれない」(朝日新聞)と言っても、現実に雨あられとミサイルが飛んで来るのに反撃しないとは考えられません(一説には、日本には200基のノドンが向いているとか)。恐らく超法規的に反撃することになるでしょう。攻撃は最大の防御であるので、敵のミサイル基地を直接叩くことは憲法解釈の範囲で許されると言う説もあります(およそ50年前の政府の答弁が根拠)。 ……でも、どうやって? 日本は敵国の領土に打ち込めるようなミサイルを持っていません。憲法の制約で、侵略にも使える装備を持つことが許されないからです。主力戦闘機であるF15にも対地爆撃用の装備はありません(米国のF15は対地ミサイルも装備可能。自衛隊のF15からは外してあるということ)。現状で装備されている対艦ミサイルでは陸の標的にはロックオンできません。 またF15以外の機体は北朝鮮で作戦行動を遂行するには航続距離が足りません。もちろん自衛隊には空母もありません。空中給油もできません。 こんな時、例えばF/A-18戦闘機なら北朝鮮まで往復して爆撃可能で、空戦の能力も高く、しかもF15より値段も安いんですが(たしか半額以下)、自衛隊で採用されなかったのは「対地爆撃が可能である」ことで反対する勢力があったからだとか(中国共産党の外郭団体(^^;の某旧社会党とか)。では海から上陸して戦車で強襲……そんなことが出来るのは世界でも米国だけです。 というわけで、もしも北朝鮮が日本に向けて何百発ミサイルを発射しようが、全く為す術もありません。爆弾抱えた戦闘機で特攻するぐらいが、唯一の反撃手段でしょう。もしくは「一発で死ぬのはせいぜい100人、仮に200発飛んできても2万人死ぬだけだ」と諦めるか、ですね。 ま、でも全然大丈夫ですけどね。「平和を愛する諸国民」を信頼していれば、日本は永久に平和なはずですから。平和憲法さえあれば、金正日がミサイルを撃ってくるなんて有り得るハズがないよ。心配しなくても平気へーき(^^)。 '06.06.24(土) ありか保育参観 ありかの幼稚園の保育参観。相変わらずお遊戯とか何もやらないのに呆れる(^^;。他の子たちが歌ったり踊ったり元気で返事したりしているのに、一人だけうつむいてモジモジしてるだけ。内弁慶で家では威張っているのに、こういう晴れの場では、からっきし意気地が無い。 せっかくビデオカメラ持って張り切って参観しているのに、なんかちょっと空しい感じです(^^;。 '06.06.27(火) 「感動をありがとう」……なんて認めないよ サッカー日本代表の帰国時の写真が、もう雑誌に載ってるんですね。早いねぇ。700人のファンが温かく迎えて、「お疲れ様」とか「ありがとう」なんて声援を送ったんだそうだ。甘やかすな、タワケどもめ! まぁ、もともと日本チームが決勝に行けるとは思っていませんでしたが、それでも柳沢の顔を見るとやはりちょっとムカつく(^^;。いや、きっと家族を人質にとられてて、シュートを決めたりすると命が……という事情があったのに違いないのですが(あのプレーをみる限り)。っと言うか、このネタ2回目?(∩ ゚д゚)アーアーきこえなーい
時事ネタついでにもう一つ。 例のカリスマ整形外科医さんちの女子大生誘拐事件。ビザ無しの入国を認めたらやはり中国籍・韓国籍の犯罪が、とか。もう一人の日本人とされる犯人も在日の2世か3世ではないか、とか。いろいろありますが、まあ、そういうのは書き始めると長くなるしややこしいので省略。被害者のお母さんだったかな? 「狙われる心当たりがない」 ……いや、ないことはないだろう、と。 '06.06.28(水) 北朝鮮謹製政治ショー 韓国の拉致被害者家族の方々が北朝鮮で再開。今回は八組(後日注:あやふやな記憶で8組などと書いてしまいましたが、後日、バスが10台ほど連なっている映像を見たので、8組だけではなかったのだと思います)の家族が行ってるんですね。でも何故か、めぐみさんの夫(とされる人)のご家族だけ別室がセッティング。いや「何故か」ということはないよね。当然、北のプロパガンダのため。 もちろん、北の犯罪によって離れ離れになっていた親子の再会は感動的でしたし、良かったとは思います。しかしなぜ北ではなく韓国で会えないのか。なぜ再会した親子が諜報員の監視付でなければ話もできないのか。なぜ日本の報道機関は締め出され、渡された映像はブツ切りに検閲されたものでなければならないのか。そして、なぜ“拉致被害者家族”が“離散家族”などと呼ばれ、再会させていただけることを、当の誘拐犯に感謝しなければならないのか? 悲しくて、悔しくて、涙が出そうです。第三者である僕でさえそうなんですから、めぐみさんのご両親の心中は如何ばかりか……。再会の政治ショーのVTRを見つめながら、なんとも言えない表情をしていましたね。きっとお二人とも、今までも、こんな顔をして耐えてきたのでしょう。最愛のめぐみさんが居なくなった時も、北朝鮮に拉致されたと分かった時も、金正日がそれを認め、めぐみさんが死んだと言われた時も、“遺骨”を渡された時も、そして、それが偽物だと分かった時も(遺骨の件では二度も悲しみを味わわされているんですよね) たぶん明日以降、北朝鮮のプロパガンダが次々と報道されるでしょう。夫のチョルジュンさんやヘギョンちゃんが、めぐみさんは死んだと言わされるかもしれない。もうこれ以上、横田滋さん、早紀江さんに悲しい思いをさせないで欲しい。早くめぐみさんを、その他の100人以上の日本人拉致被害者を、400人以上の韓国人拉致被害者を取り返したい。そのためには、一刻も早く経済制裁をしなければならないのですが……(小泉首相が抵抗勢力になっている)。 |