心霊学研究所
類魂とは何か
その5
では、前回に引き続いて『人間個性を超えて---永遠の大道』から、紹介します。今日は、特に第四章「再生」を、要約と引用をしながら見ていきましょう。
地上で全く物質的生活をおくった人々が、知的で高次な形の情緒的生活を体験するために再生しなければならないのは明らかである。言い換えれば「動物的な人」の段階にある人は殆ど例外なく再生する。
私が「魂的な人」といっている人の中にも、もう一度地上に生まれることを選ぶ者がいる。しかし、転生といっても機械のように規則的な再生が繰り返すというわけのものではない。私はこれまで特定の魂が死と再生による進歩過程を永続的に続けているという例証には出会っていない。ある個人が百回ないしそれ以上も地上に再生するなどとは一瞬も考えたことはないのである。実際、これは誤った仮定だ。むろん、未開人の中には物質的性情を超えて上昇しようという気持ちや向上心もなさそうな人が結構いるから、例外もあるであろう。しかし大部分の人は二、三回ないし四回の再生ですます。(P.93)その人の目的によっては、もう少し、8〜9回の再生をすることもあるかも知れません。しかし、人間の形態で50回も100回も生まれ変わることは、あり得ない様です。「霊性の進化」という視点で見ると、何十回人間をやっても、所詮同じ「五感」の中での体験に過ぎず、無駄が多いという事なのでしょう。
勿論、5、6回の地上生活では、人間としての経験のホンの断片しか体得できないのも確かです。しかしながら、たとえわれわれが六回以上の生活をおくったとしても人間模様のほんの表層に触れただけなのだと承知してもらいたい。それだけではまだある訓練を受けたというだけで、人間存在の深みも高さも探り得たとは言えない。つまり人間の意識や感情のすべてを経験できたことにはならないのである。だが、地上での収穫を何度も取り入れなければ----例外を除いて----死の彼方の高次の世界で生きることはできないのだということも間違いないところである。
しかしわれわれがいちいち地上に戻って多様な人生経験と知識を自分の貯蔵庫に集める必要はないのである。われわれはそれを類魂の生活と合一することによって取り入れ、束ね、わが家に持ち帰ることができる。類魂には多数の魂が属していて、過去、現在、未来にわたる魂の旅を繰り広げている。実際、類魂の中でわれわれはそれを「旅」と呼んでいるのである。(P.94-95)例えばある人が、白色人種の地上生活を送ったことがなくても、同じ類魂の中には白人だった者が居り、その過去世の行為、感情に同化することができれば、肉体を持って生きることを省略できるわけです。
あなた方は大自我のなかに入ることによりいかに意志力と知覚力が増すかを知ることであろう。そこにおいてあなた方は自分自身であり続けると共に、基本的な個体性を保ち続ける。が、性格と霊力は驚くほど進展する。(P.95)
人間は年と共に知恵を重ねるわけですが、それは肉体に拘束されながら何百年も過ごさないといけないわけではなく、同じ類魂の中から魂の索引力が引き寄せるモノの中から「体験」を集めることができるのです。
他者の経験のなかにおける生活というのは、人間にはこれまで殆ど理解されていない。その場合、魂は現実生活とはかけ離れたドラマの虜になった観客に似ている。それゆえ魂は劇中で、肉体そのものが現実の時代的背景のなかでじかに味わった歓喜と苦痛を体験するわけではないのだが、同類の魂の生活における行為、思想、気分といったものの結果を子細に感得するのである。(P.96)
そうすることによって魂は、あらゆる典型的地上生活についての知識を獲得できるわけです。
精神障害などについても言及されています。尤もこれは、類魂説と言うよりもカルマ論の話かも知れませんが。
魂が障害を持った身体に生まれるという事は、その魂が前世において失敗を犯し、その結果、ある特定の経験を積まなければその失敗を償うことができないためである。
例えば白痴のように、見たところこの世の活動を抑止された魂の場合でも、物質界での機能は果たしており、漠然とながら地上生活での学習をつづけている。実際のところ、暴君とか宗教裁判の審問官であった人などがしばしば白痴や低脳者に生まれ変わっている。彼らは死後の世界で自分達の犠牲者の苦しみを理解し同情することを学んだ。しかし時として、この反省過程がすさまじい程のものである余り、これらの罪人の想像力の中枢が狂ってしまって、次の再生の期間を通して精神異常の一生をおくらなければならないことがある。つまり、その者は過去の罪の意識に付き纏われ、自分の行為が生んだ夢魔的幻想や恐怖に襲われる(後略)(P.96-97)ただし、障害者がすべて過去世の罪人であった訳では無い事は、おさえておく必要があるでしょう。意外な程の高級霊が、何らかの使命のために、もしくは何か足らざる体験を求めて、障害を持った身体を選んで生まれてくる事も多いからです。
勿論、障害者が不幸だなどというのは偏見かも知れません。しかしやはり、そういう人生を選んで生まれてくることは、相当な決意が要るはずです。それを考えると僕のようにいい加減な人間は(^^;)、頭が下がる思いがします。再生に関しては定まった法則というものはない。進歩のある段階で魂は、過去の地上生活との関連性のなかで自己の本性を熟慮し、反省し、自己評価する。原始的心性の人はこれを自己の存在の深部を突き上げる本能----すなわち一種の感情的思考----によっておこなう。この時本霊がどういう方向に進むかについて助言する。魂は完全なる自由意志で選択するが、本霊が進むべき方向を指し示すと大抵その指針に従うものである。(P.97)
つまり殆どの魂は、自分の人生は自分で選択して来ているということです。類魂説を知ってしまったら、その時からもう自分の境遇に不平不満をこぼすことは出来なくなりますよ(^^;;;
はじめて肉体を持った魂は、通常その類魂のあるメンバーと霊的に極めて近い関係にある。そして、その関係が近いほど古参の魂のカルマを引き受けることになる。そうした古参の魂は既に四、五回の地上生活を経験している。がしかし未だ充分には純化していず、霊的進化に必要なだけの地上経験をしていない。しかしながらこうした場合、二つの方法で必要な経験を獲得することが出来る。(1).類魂の記憶のなかに入ることによって。(2).その魂のカルマ----何度かの地上生活によってつくりあげたパターン----を引き受けた若い魂と霊的な関係を保つことによって。
こうして自らの創造の分身である類縁の魂に霊的に結びつき、この魂の地上の旅を見守ることによって自らの霊的生命を豊かにするのだということが分かるであろう。(P.98-99)一応補足すると、(2).で述べているのは守護霊として人間と関わっていくという事です。
さて、これでたぶん一通り概説を解説できたと思います。ご質問などは、お手数ですが Nifty-Serve の世紀末フォーラム(FARION) mes(16) 心霊学研究所のほうへお願いいたします。メールをいただいても、たぶんお返事は書けないと思いますので。
(初出 08/31/94 Nifty-Serve FARION mes13 #1721)