心霊学研究所
kaleidoscope
('00.05.16作成)

心霊科学協会への苦言と提言
『心霊研究』1991年12月号掲載


 

 今回ご紹介するのは、(財)日本心霊科学協会の機関誌『心霊研究』1991年12月号に寄稿したものです。なにぶん10年も前に書いたものですので、現在では実情に合わない部分もありますし(心霊ブームは去ってしまいましたしね)、過去の自分の霊的真理に対する認識の浅さを感じる部分もあって恥ずかしいのですが、風のウワサによれば、現在でも協会はあの時と何一つ変っていないとのこと。今ここで、この一文を再び世に問うのも、決して無駄ではあるまいと思い、公開に踏み切ることにしました。

 なお、掲載時に“シルバーバーチ”の表記を勝手に“シルバー・バーチ”とナカグロが入った間違った形にされていたのを、正しく“シルバーバーチ”と直しました。それ以外は原文ママです。

 


 

 現在、世は押し並《な》べて心霊ブームである。テレビを見れば、一日に一つは心霊をあつかった番組があるといっても過言ではないし、書店に行けば、今まで心霊関係の書籍などあつかっていなかったところでさえ宗教や心霊の本が平積みになっている。その中でも最近、急成長をとげた教団がある。大川隆法の『幸福の科学』である。一九八五年に『日蓮聖人の霊言』という初めての本を出版してから、わずか六年しかたっていないにもかかわらず、一五〇万人を越える会員を持つ大教団に成長している。

 私がここで大川隆法の名を挙げたのは、その教えが素晴らしいからでは(勿論)ない。彼がスピリチュアリズムを標榜して世に出てきた人だからである。大川隆法を御存じないかたのために簡単に説明すると、彼は(自称)釈迦の生まれ変わりであり、自らが霊媒となって歴史上の有名人の霊を呼び出すのだという。呼び出される霊は、イエス・キリストをはじめ、日蓮、孔子、高橋信次、ノストラダムス、ソクラテス、モーゼ、天照大神など、古今東西にわたっている。前述の『日蓮聖人の霊言』のなかに、有名なスピリチュアリストであるA・R・ウォーレスを引き合いにだした、次のような一文がある。

『この霊訓集を編むに当り、今さらながら、「事実は頑固なものである」と述べられた、英国の大博物学者でありまた心霊研究家でもある、アルフレッド・R・ウォーレス氏の言に同感し、氏のスピリチュアリズムに対するその熱意に敬意を表するものであります。』

 また、同書のなかで『シルバー・バーチ霊言集の問題点』と題して、シルバーバーチについてもとりあげているし、『新・神霊界入門』という本では(自称)小桜姫が霊界の様子を語っている。

 長々と大川隆法について書いてしまったが、ここで大川隆法批判を繰り広げることは、実は私の本意ではない。彼の教えが幼稚な戯言《たわごと》でしかないことぐらい心霊学の初歩をかじった者ならすぐに分かることである。先程私は、スピリチュアリズムを標榜しているから大川隆法を取り上げると書いた。そして今度は、心霊学の初歩を知っていればインチキだと分かると書いた。つまり『幸福の科学』の一五〇万の会員は全員、スピリチュアリズムについて正しい知識がなく、心霊学など何も知らないということである。多分、日本人のほとんど全員が同じ状態だろう。その責任は、いったい誰にあるのか。それを、これから書く。


 日本心霊科学協会は、自称『スピリチュアリストの団体』である。ここで私は、あえて『スピリチュアリストの団体』と言う言葉の頭に「自称」とつけた。そう自称しているからである。しかし自称してはいるが、本当にスピリチュアリストの団体といえるのだろうか。残念ながら、疑問符を付けざるを得ない。

 スピリチュアリストの団体としての心霊科学協会を見てみよう。協会の中心的行事といえば、やはり精神統一会である。これはスピリチュアリストの団体としては必要な行事であり、非常に良いことである。心霊治療もやっているようだ。どの程度の成果があがっているかは分からないが、これも、非常に良い。そしてもう一つが、機関誌『心霊研究』の発行である。残念ながら、これがあまり良くないのである。

 協会の使命の一つとして、心霊問題を判断する基準(スタンダード)を提示することがあると思う。特に、現在の心霊ブームの状況を見ていると、それは急を要する課題であろう。しかし協会にはそれは望むべくもない状態である。社会全体にスタンダードを提示するどころか、協会の中でさえ何が正しくて何が間違っているか分からないでいる。それが如実に分かるのが『心霊研究』誌である。

 いまだにスウェデンボルグを重要視して、とりあげている人がいる。恐らく彼はスピリチュアリズムなど知らないのだろう。再生など無いと言っている人がいる。きっと彼は英米の心霊研究の歴史について何も知らないのだろう。再生説を十把一絡げに「宗教的、倫理道徳的な意味から生まれた俗説」とは……。私に言わせれば、こんな暴論が許されるのは五十年前までである。大川隆法を取り上げて本物の霊言集だと言っている人がいる。しかしこれに関しては、この筆者より、編集室に責任があると思う。確かに『心霊研究』誌の巻末には「……それらの主張が本協会の見解をそのまま表明しているわけでもありません」という一文があるが、だからといって何でも載せてよいと言うわけは無いはずである。

 しかし、どんなにひどい論文が載っても、それに対する協会側からのコメントが書かれる事はないし、会員からの反論が寄せられる事もないようである。お互いに、議論になるのを恐れているのだろうか。結果、心霊学の基礎も踏まえられていない論文がまかりとおることになる。これでは日本の心霊学のスタンダードを確立できるはずがない。本当に価値のある素晴らしい論文が無いわけではないが、現状では無駄に埋もれて行くだけである。残念なことではないだろうか。

 結局、皆が不勉強なのである。色々な人が『心霊研究』に寄稿しているが、英米の心霊研究の歴史をまったく無視している(知らないのだから仕方がないが)ために、とんでもない的外れな仮説を、大真面目で論じていることさえある。それでいて「日本の独自の心霊主義を」などと言っているのである。その気持ちは分からないでもないが、現状では不可能である。確かに、日本の霊界の風土は英米とは違い、心霊思想も違ったものになるのは当然である。いつかは『日本の』心霊思想を確立しなければいけないが、まだ時期尚早であると言わざるを得ない。それよりも、西洋のスピリチュアリズムを学ぶことである。西洋の一四〇年もの心霊研究の歴史を学び、それを吸収することである。それをせずに、日本だけで独自に心霊思想を確立しようとしても、現在の英国のレベルにたどりつくまでに、今から百年以上かかってしまうはずである。

 さらに具体的に言おう。『心霊現象を科学的に検討する』計画がすすんでいる。良い形で進められていることを祈るばかりであるが、その研究方法についてもW・クルックスやオリバー・D・ロッジの過去の研究から、その良かったところ、悪かったところを検討して、そこからさらにもう一歩進んだ研究が出来れば、と思う。ただ、やはり始めからクルックスやロッジ以上の成果を望むのは不可能であろう。せめて、将来につながるべき一定の成果が出てほしいものである。

 思想的側面からも、同じことが言える。再生について、霊界について、心霊全般について述べる前に、西洋の代表的霊界通信を研究すべきである。決して西洋かぶれで、そういっているわけではない。あの偉大なる先人、浅野和三郎氏もそうしたのである。S・モーゼスの『霊訓』、G・カミンズの『永遠の大道』『個人的存在の彼方』などはスピリチュアリズムの金字塔である。それがなければ『小桜姫物語』や『新樹の通信』のような、高度な霊界通信の審神者たりえなかったであろう。

 勿論すべての人が心霊研究家になるというわけではないし、あまり多くを望むのもどうかとは思うが、いやしくも日本心霊科学協会の会員を名乗るからには、スピリチュアリズムというものをもっとよく理解すべきではないだろうか。一般の会員でも、少なくともシルバーバーチの霊訓ぐらいは読むべきである。これだけでも、必要にして充分な心霊知識が得られるものである。

 しかし、シルバーバーチという名前さえ知らない会員が、現実にたくさんいる。いまのままでは、とてもではないがスピリチュアリストの団体であるとは言えない。「自称」とつけざるを得ないのである。


 今のままではいけないことぐらい、誰でも分かるはずである。始めにも言ったが、宗教ブームと言われるようになって久しい。NHKでも臨死体験が取り上げられたりして、一般の人たちの間でも心霊に対する関心が高まっている。その中で心霊科学協会は、一般の社会に対しても協会内部に対しても、心霊知識のスタンダードを確立しなければならない。これは先程も述べた通りである。

 そのためには『心霊研究』誌上での、徹底的な討論が必要である。現在のように、おかしな論文に何の反論も出てこないような、なあなあの雰囲気からは何も生み出されはしない。『心霊研究』という公的な場所で発表する以上、自らの発言には責任があるはずである。間違っている部分があれば、間違っていると、はっきりと指摘すべきである。遠慮している場合ではないのだ。馴れ合いから脱しないかぎり、心霊科学協会には未来はないと思った方が良い。
 言うまでもないとは思うが、ののしり合いをしろといっているわけではない。実のある議論が必要だということである。そのためには、やはり英米のスピリチュアリズムを勉強することが最低必要条件である。


 それができれば、協会内部でスタンダードを確立するのも、さほど難しくもあるまい。まずは、日本心霊科学協会の綱領をつくることが第一であろう。憲法にあたるものである。英国スピリチュアリスト連盟には七箇条の、米国スピリチュアリスト連盟には八箇条の綱領がある。それに類した綱領を制定することである。英米のものを参考にすれば、それだけでも良いものができるだろうし、浅野和三郎氏が十五項目に分けた『心霊研究のもたらす教訓』なども、そのまま使ってもよいぐらいである。

 とりあえず、憲法(綱領)が定まれば心霊科学協会とはどんな団体なのかを社会に対しても、マスコミに対してもアピールできるようになるはずである。

 憲法が制定されたら、次は法律である。心霊に関する有力な理論や仮説を一定の形でまとめるのである。それによってある程度妥当な心霊の世界観が浮かびあがるのではと思う。

 ただし、それは固定的なものにするべきではない。より有力な仮説がでれば、書き替えるなり、書き加えるなりするべきものである。宗教団体の教条とは違うと、肝に銘じておくべきである。


 こうして、協会内部でのスタンダードが確立すれば、あとは、それをいかに一般社会に普及していくかである。

 これは先程述べた、英米のスピリチュアリズムの研究をする過程で出てくることだと思うが、海外の文献の日本への紹介も重要であり有効な仕事である。協会で翻訳者の養成ができれば理想的なのだが……。

 また、もっとも有効と思われるのは、テレビや雑誌などのマスコミに働き掛けを強めていくことである。協会の理事にもなられた新倉イワオ氏が、よくテレビ出演しておられるが、その他にも、協会が協力して質の高い番組をつくる余地がまだ残されているはずである。

 これは、わたしの全く個人的な見解だが、新倉氏はテレビ番組中、供養ということをさかんに強調しておられるが、そればかりでなく、シルバーバーチの霊訓のような素晴らしい霊言集の紹介をすれば、より理想的ではないだろうか。基本的な霊的真理がわかれば、『供養』ということの持つ意味には、自然に理解がいくと思うのである。

 『供養』を尊ぶ日本の心霊感を、私は愛する。それを軽んじる現代の風潮に警鐘を鳴らし続ける新倉氏の功績は、非常に大きいものである。が、残念ながらその日本人の心霊感が産み出す弊害を見落としているように思えてならない。霊が供養を強要して祟ってくるのは、日本人だけにみられる特異な習慣である。子孫が供養してくれないせいで浄化できない、というのは、自分の死に気がつかないために浄化できないのと同じである。霊的真理を知らないための悲劇である。

 その点で、やはり私は霊的真理の普及を第一義としたい。しかし、たしかに供養を必要とする霊がいることも事実である。こればかりは、単純に割り切れる問題ではないようである。


 以上、ずいぶん厳しい事ばかり書いたが、今のままでは本協会の素晴らしい人材や業績が無駄に埋もれてしまうことを強調し、ここから議論が少しでも起こってくれることを願って、本稿を閉じたい。かなり挑発的に書いたので、簡単に読み過ごすことはできないのではと思う。不愉快に感じたかたも多いだろうが、思わず筆を執りたくなってくれれば私の思う壷である。

 尚、文中で『心霊研究』誌に掲載された論文を批判している部分がある。本来なら、なぜそれが間違っているのか、論理的に説明しなければいけない所である。しかし、それは本文の論旨とは関係のない部分であるため、ここでは書かなかった。無責任のそしりは免れないかもしれないが、今回はご了承いただきたい。

 また、他人の批判をした以上、私自身も批判される覚悟は出来ているつもりである。厳しい批判、反論を待つ。甘んじて受けるつもりである。しかし、ねがわくば一人でも賛同してくれる人がいてほしいものである。


前ページ目次次ページ

心霊学研究所トップページ