心霊学研究所
kaleidoscope
('00.07.11作成)
よく「知識は活かすためにある」と言う人がいますが、そういう人の多くは、実は次の事が分かってなかったりします。つまり「無いものは活かせない」という(笑)。 いや、実践のための知識ということ、それ自体はまったく正しいのです。それは僕自身も繰り返し言ってきています。霊的知識をコレクションするだけの霊能オタクになってはいけない、と。 しかし、これに関しては「逆もまた真なり」。無知であるがゆえに迷惑を撒き散らす結果になることもあるのですから、霊的成長のためには知識を得ることも不可欠なのです。よくありますよね。本人だけは「他人のために何かをしてあげているつもり」だけど「そうしてもらっている相手はとっても迷惑」ということ(^^;。 では宗教心を持てば良くなるかと言うと、むしろ逆の場合が多いように思います。宗教団体の勧誘やら十字軍やらの例を見るまでもないでしょう。 先祖とはちょっとした行き違いから衝突することもありませんし、神とは話をする機会がありませんから(当然ですね(^^;)、なんとなくありがたい気分になることは、実は容易です。要するに「ご先祖に感謝できない人間が奉仕など」「私は人ではなく神に仕えているのだ」とかいう尤もらしい言葉を隠れ蓑に、人と関わることから逃げ、独りマスターベーションに耽っているに過ぎないのです。これではご先祖様や神様も、たまったものではありません。 (先祖供養がいけないとか、する必要が無いと言っているのではありません。ただ、それだけ先にすべきというものではないということです。供養の問題に関してはまた改めて解説します) シルバーバーチがよく言う言葉に「他人のために自らを役立てることをする」というのがあります。それ以外に霊性を伸ばす方法は無いというのですが、上記の例を見ても分かるように、この一見単純な、身近な、誰にでも出来そうなことが、実は一番難しいのではないでしょうか。相手のために役立つには、相手と向き合い、人間関係を形成し、触れ合わねばなりません。考えてみれば、人間がこの世に生まれてくる目的のほとんど全てが、奉仕という一言の中に包蔵されているではありませんか! 宗教や哲学、芸術の勉強をして、深い認識を得ることも大切ですし、もちろん必要です。しかし、それによっては、実は霊性は1mmたりとも伸びません。知識を得たら、それを生かしていかねばなりません。知識はそれを活用してこそ意味があるのです。でなければ、いくら深い知識や認識力を持つに至っても、単なる自己満足でしかありません。 と言っても、知識がつまらないものだという事ではありません。無知が災いして、奉仕しているつもりで迷惑をかけることの無いように、より意味のある実践のためには、より深い知識と認識が必要ですし、その逆もまた真なりです。知識は自由をもたらし、行動の幅を(いろいろな意味で)広げてくれるという意味で、必要不可欠なのです。 知識と実践は、車の両輪です。どちらが欠けても、どちらを疎かにしても、どちらかだけに偏っても、前に進むことはできないのです。 初出:Nifty-Serve FARION『心霊学研究所』('97.04.16)を大幅に改稿 |