心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.01.26公開)

三.輿入《こしい》


 

 そのうちに私の娘時代にも終わりを告げる時が来ました。女の一生の大事は言うまでもなく結婚なのでして、それが幸不幸、運不運の大きな分かれ道になるのですが、私もその例からもれるわけにはいきませんでした。私が三浦家へ嫁ぎましたのはちょうど二十歳《はたち》の春で、山桜が真っ盛りの時分でした。それから荒井城内で十幾年の武家生活を送りました。けっこう楽しかった思い出もありましたが、何といってもその頃は殺伐とした空気のみなぎった戦国時代のこと、北条某というこずるい成り上がりものから戦争を仕掛けられ、何回かの激しい合戦をしました。そして三年越しの篭城《ろうじょう》の末、武運つたなくわが三浦の一族は、夫をはじめとしてほとんどの者が城を枕に討ち死にしてしまいました。その当時の不安、焦燥、無念、痛心といったら…。今でこそすっかり心の平静を取り戻し、別に悔しいとも悲しいとも思わなくなりましたが、当時の私たちの胸には、まさに修羅の業火が炎炎《えんえん》と燃えていました。恥ずかしながら私は一時、神様も怨み、人も呪いました。…どうぞそのころの物語だけは勘弁してください。

 大江家の一人娘がどうして他家に嫁いだかとお尋ねですね。あなたの誘導尋問の巧みなのには、本当に舌を巻いてしまいますわ。ではほんの話の道筋だけでもお話いたしましょう。現世の方々にとってはやはり現世の話に興味を持たれるかもしれませんが、私たちの境涯から見れば、そういった地上の事柄は別に面白くも何ともないんですもの。

 私が三浦家に嫁いだのは別に深いわけなんかなくて、私のやがて夫となるべき男性に私の父が惚れ込んだだけです。『頼もしい男じゃないか。彼以外におまえが結婚するに値する人物はいないんじゃないか。』という一言で、私はおとなしく父の命令に従うことが決まりました。現代の人たちから見れば頭が古いと思われるかもしれませんが、古いも新しいも当時はそれが唯一女の道だったのですから仕方ありません。ちなみに父の計画では、私たち夫婦の間に男の子が生まれたら、その一人を大江家の相続者にもらい受ける下心があったようですけど。

 お見合いですか?それはやはりお見合いもしましたよ。彼の方から私の実家に訪ねて来たように記憶しております。昔も今も同じと思いますが、私は両親に呼ばれて彼の前へ挨拶に出たのです。そのころの夫はまだ若者でした。年は確か当時二十五歳、横幅も身長も大柄な筋骨のたくましい男性で、色も浅黒く日焼けしていました。目鼻立ちはごく普通でひげはなく、どちらかと言えば面長で目じりのつった、きりっとした顔立ちをした人でした。エー、歴史に八十人力の荒武者と書いてあるんですか…フフフ、彼はそんな化け物じゃないですよ。弓馬の道に一生懸命な無骨な人でしたが、八十人力などというのは大げさ過ぎます。フフ、いがいと優しいところもありましたから。

 彼の見合いのときの服装ですが、たしか狩衣《かりぎぬ》に袴《はかま》をはいて、腰にはお決まりの刀を大小二振り差し、手には中啓(扇の一種)を持っていました。

 結婚式のことなど、どうぞお聞きにならないで下さいね。とくに変わったところもありませんから。家具類を前もって先方に送り届けておいて、私は後から駕籠《かご》に乗せられて、大きな行列を作って乗り込んだまでのことです。式は夜分に挙げました。今ではなんだか夢みたいで、今さらその当時を思い出してみても何の興味も起こりませんわ。こちらの世界に移ってしまえば、めいめい使命が違って、ただ自分の歩むべき道を一心不乱に歩むだけです。だから親子も、兄弟も、夫婦も、こちらではしょっちゅう付き合っているわけではありませんのよ。あなたがたもいつかはこちらの世界に移ってこられるでしょうが、そのときになれば私たちの現在の心境がだんだんわかってくるでしょう。『そんな時代もあったわねぇ』なんて。遠い遠い現世の出来事などは、ただ一片のまぼろしとなってしまいます。現世の話はこのくらいでよろしいでしょうか。早くこちらの世界の物語に移りたいんですけど。

 エー、私が死ぬときの様子を話せとおっしゃるのですか?それじゃあそれだけごく手短にお話しましょう。ほんとにもうそれでお終いですよ。

 


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