心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.01.26公開)

四.落城から死


 

 足掛け三年にわたる篭城《ろうじょう》中には色んな事がありました。月に何度も繰り返される夜討ち、朝駆け、矢合わせ、切り合い、どっと起こる喊《とき》の声、空を焦がす狼煙《のろし》、そして最後にいよいよ武運尽きての落城…四百年後の今日想い出してみるだけでも気が滅入っちゃいます。

 戦闘が始まってからは、女子供はもちろんお城の外に出されていました。私が隠れていたところは油壺の海岸から狭い入り江を隔てた南岸の森の陰で、そこにほんの形ばかりの仮屋を建てて、一族の安否を気づかいながらわび住まいをしていました。現在私が祀《まつ》られているあの小桜神社の所在地、少し地形は変わってしまったようですが、大体あのあたりです。私はそこで対岸のお城に最後の火の手が上がるのを眺めていたんです。

 『お城もとうとう落ちちゃったわ。もうすでに夫も死んじゃったのかしら。にっくき敵め、女ながらもこの恨みは……。』

 そのときの一念は深く深く私の胸に食い込んで、現世に生きているときはもちろんのこと、死んでから後も簡単に私の魂から離れなかったのです。私が何とかその後人並みの修行ができて神心が湧いてきましたのは、ひとえに神様のおさとしと、それから私のために和やかな思念《おもい》を送ってくださった、親しい人たちの祈願の賜物なのです。そうじゃなければ私なんかまだまだ救われる女性ではなかったかもしれません。

 とにかく落城後の私は、女ながらも再挙を図るつもりでわずかばかりの忠義なおともに守られて、あちらこちらに身を潜めていました。領地内の人々も大変親切に私をかばってくれました。でもなんといっても女の細腕、力と頼む一族郎党の数もいよいよ残り少なくなってしまったのを見ましては、再挙の計画が無理なことが次第にわかってきました。積もる苦労、重なる失望、ひしひしと骨身にしみる寂しさ、私の体はだんだんと衰弱していったのです。

 そうやって何ヶ月かすごすうちに敵の見張りもだんだんと緩んで来ましたので、私は三崎の港から遠くない諸磯という漁村に出ていきました。もうそのころの私には、世の中がとっても味気なく感じられてしかたないのでした。

 実家の両親は私のことを大変心配してくれまして、ひそかに私の仮住まいを訪れ、鎌倉の実家へ帰っておいでと勧めてくれるのでした。『夫もなければ家もなく、また後を継ぐべき子供だってない、本当の一人ぼっちじゃないか。とにかく鎌倉へ帰ってきて心静かに余生を送るのがいいと思うんだが…』なんて色々と口をすっぱくしてすすめられたんですが、私としてはどうしても今さら親元へ帰る気持ちになんてなれないのでした。

 『気持ちは嬉しいけれど、私は一度三浦家へ嫁いだ身、もうここを離れれるなんてできないわ。私はこの先ずっとここ三崎にとどまって、亡き夫や一族の御霊を弔いたいのです。』

 私の決心の相当固いのを見て、両親もそれ以上帰省を勧めることもできなくなり、そのまま寂しそうに鎌倉に帰っていきました。それから間もなく両親は、私のために海から二、三町引っ込んだ小高い丘に、土塀をめぐらしたささやかな家を建ててくださいました。私はその家で忠実な家来や腰元を相手に余生を送り、そしてそこで寂しくこの世の息を引き取ったのです。

 落城後息を引き取るまでどのくらい経過したかとお尋ねですね。それはやっと一年ちょっと、私が三十四歳のときでした。ほんとに短くつまらない一生でした。

 でも今から考えますと、私には生前からいくらか霊覚のようなものに恵まれていたようなんです。落城後すぐに城跡の一部に三浦一族の墓が築かれましたので、私はちょくちょく墓参りに出かけたのですが、墓の前で目を瞑《つむ》って拝んでおりますと、目の前に夫の姿がありありと浮かんできたものです。当時の私はあまりそのことを深く考えず、墓参りをすれば誰でもそんなものが見えるのだろうくらいに思っていました。私が三浦の土地を離れる気がしなかったのは、一つにはこのことがあったからでした。当時の私にとっては死んだ夫に逢うのが、この世におけるほとんど唯一の慰めであり、希望だったのです。『ぜったいここから離れたくない!』私は一途にそう思い込んでいました。別に婦道がどうの、義理がどうのなんて難しい理屈をこねて、三浦にとどまったわけではありません。そうしたかったからそうしただけなんです。

 だけど私が死ぬまで三浦家の墳墓の地を離れなかったということは、その領地に住む人々の心によほど深い感動をあたえたようでした。『小桜姫は貞女の鏡である』なんていって、私の死後に祠堂《やしろ》まで建てて神に祭ってくれました。それこそが今に残るあの小桜神社なんです。でも申し上げましたとおり、私は別に貞女の鏡でもなんでもありませんでした。ただどこまでも自分の勝手を通した、一本気な女性に過ぎなかったというわけなんですのよ。

 


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