心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.04.29公開)

十七.第二の修行場


 

 私の最初の修行場、岩屋の中での物語はひとまずこのあたりで一区切りとしまして、これからは第二の山の修行場のほうへ話を移しましょう。修行場の変更なんていいますと、現世の方々はずいぶん面倒くさく、ドサクサしたうるさい仕事のように思われるかもしれませんが、こちらの世界の引越しはすごくあっさりしているんですよ。それこそ場所の変更というよりは、むしろ境涯の変更、もしくは気分の変更といった方がいいかもしれません。その証拠にあの第一の修行場である岩屋にしても、最初はなんて薄暗い陰気なところかしら、と滅入っちゃってたんですが、それがいつのまにか少しずつ明るくなって、最後は全く普通の明るさ、少しも穴の中という気がしないほどになりました。それにつれて気持ちもずいぶんと晴れやかになり、しまいには外へ出て散歩でもしてみようかしらなんていう気分になったほどでした。たしかにこちらでは気分と境涯がピッタリ一致しているようですね。

 ある日私がいつになく統一の修行に飽きてしまって、なんとなく岩屋の入り口の方が気になって、そちらの方へフラフラと歩いてみたんです。そこへひょっこり現れたのが例の指導役のおじいさんでした。

『あんた外に出たいんじゃないのかい。』

 図星だったので、少し決まり悪くなっちゃいました。

『おじいさま、今日はなんだか落ち着かないんです。どこかに遊びに出ちゃおうかしら。』

『遊びにいきたい時は行けばいいのさ。私がいい場所に連れて行ってあげよう。』

 おじいさんまでがいつもより陽気な顔をして誘ってくださるので、なんだかとっても嬉しくなって、おじいさんの後について出かけることにしました。

岩屋を出て少し歩きますと、すぐに上り坂となって道の左右に杉や松の木がこんもりと茂った、相当険しい山でした。現界の景色と同じかとお尋ねですか。そうですね。格別の違いはないようですが、ただ現界の山よりはなんとなく奥深く神さびていて、森閑と感じられるくらいでしょうか。私たちが歩いていた小道のすぐ下は薄暗い谷になっていて、茂みの中を伝わってくる水音がかすかにサラサラと聞こえていましたが、気のせいかその音までがなんとなく沈んで聞こえました。

『もう少し行った所に大変素敵な山の修行場があるんだ。』なんて道々おじいさんが話しかけてきました。

『たぶんあんたも気に入ると思うんだが、ともかく現場に行ってみる事にしよう。』

『お願いいたしますわ。』

 私はほんのちょっぴり見物してみようかしら、なんて軽い気持ちでお返事したのでした。

 間もなく一つの険しい坂を登りつめると、そこはやや平坦な崖地になっていました。そしてあたりにはとても枝ぶりのいい、見上げるような杉の大木がぎっしりと立ち並んでいましたが、その中の一番大きい老木には注連縄《しめなわ》が張ってあり、傍らに白木作りの小さい建物がありました。四方を板囲いにして正面の入り口だけを残していました。内部は三坪ばかりの板敷きの間で、屋根は丸みのついた柿葺《こけらぶ》き(こけら板で屋根をふくこと、またその屋根。木羽屋根、小田原葺きともいう。)でした。どこにも装飾らしいものはないのですが、ただすべてが神さびて、屋根にも柱にも古い苔がむしており、それがチリ一つないあくまで清らかな環境としっくり溶け合って、実になんともいえぬ落ち着いた雰囲気がありました。

『まあ、なんて素敵なところなんでしょう。私こんなところで暮らしたいな。』

 するとおじいさんはにっこり笑ってこう言われました。

『実はここがこれからのあんたの修行場なんだよ。もう別に下の岩屋に帰る必要はないからね。ともかく中に入ってごらん。全部揃っているはずだから。』

 私は嬉しいやらビックリするやら、とにかく急いで言われたように建物の中に入ってみました。するとどうでしょう。中央正面の白木の机の上には、日頃の信仰の目標である例の御神鏡がいつの間にかすえられており、その脇には母の形見のいとおしい懐剣までもがきちんと載せられていました。

 私は我を忘れてご神前にひざまずき、心から感謝の言葉を述べました。

 大体以上が岩屋の修行場から山の修行場へ引っ越した時の状況です。現世の方々からご覧になったら一片の夢物語のように聞こえるでしょうが、そこが現世と幽界の相違なのだから仕方ありません。私だって幽界に入ったばかりの当時は、なんだかすべてがたよりなく思われて仕方がなかったんですから。でもだんだん慣れてくるとやっぱりこっちの生活の方が素敵に思えてきました。わずか半里か一里(約2〜4km)の隣の村に行くときでさえ、やれお供だ、乗り物だ、着替えだと半日もかかって大騒ぎしなければならないような面倒くさい現世の生活を送りながら、今思えばよくも大して不満も言わずに暮らせたものですわ。私はだんだんそんな風に感じるようにさえなったぐらいです。いずれ必ずあなたたちも、私の言っていることが実感できる時が来ると思いますよ。

 


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