心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('03.01.23)

五十.銀杏《いちょう》の精


 

 野原の妖精を一通り見物しますと、指導役のおじいさんは私に向かって言いました。

『この辺りに見かける妖精たちは大体年が若いものばかりで、性質も無邪気で他愛もないけど、同じ妖精でも、五百年、千年と年功を重ねたものになるとなかなか思慮分別もあり、うっかりするとヘタな人間なんかかなわないこともあるんだよ。例えばあの鎌倉八幡宮の大銀杏《おおいちょう》の精。あれなんかは相当老成しているよ。』

『あらおじいさま、あの大銀杏なら私も生前からよく知っています。これからあそこにお連れ下さいますか。一度その大銀杏の精とやらいう者に会っておきたいわ。』

『承知したよ。じゃあすぐ出かけようか。』

 どこをどう通過したか途中は全然分かりませんが、私たちはたちまちあのなつかしい鎌倉八幡宮の前に着きました。巾の広い石段、丹塗りの楼門、群がる鳩の群、それからあの大きな瘤《こぶ》だらけの銀杏の老木。チラッとこちらから覗《のぞ》いた様子は、昔とたいして違わないようでした。

 私たちは一応参拝をすませてから、すぐ目的の銀杏の木に近づきますと、早くも気配を察したのか、薄茶色の衣装を身に着けた一人の妖精が木陰から歩み出て、私たちに近づいてきました。身長は約七、八寸(21〜24cm)、肩には例の透明な羽根を生やしていましたが、しかしよくよく見れば顔は七十歳ぐらいの老人で、そして手には一本の杖を握っていました。

『今日はこの女性を連れてきました。』

と指導役のおじいさんは老妖精に挨拶しました。

『お手数でしょうが何かと教えてあげてください。』

『ようこそお出でくださった。』と老妖精は笑顔で私を迎えてくれました。『あんたは気づかなかったかも知れないが、実はあんたがまだ可愛らしい少女時代のときから、わしはあんたをよく知っているよ。人間の世界はあっという間に年月が移り変わっちまうが、わしなんかは何年たっても元のままじゃ。』

 枯れた落ち着いた様子でそう言って、年老いた妖精はしみじみと私の顔を見つめるのでした。

 私もなんだか昔馴染みのご老人にでも巡り会ったような気がして、懐かしさが胸にこみ上げてくるのでした。

 老妖精はいっそうしんみりとした調子で、話を続けました。

『実を言うと、わしはこの八幡宮よりももっと古くて、元はここからそう遠くない、とある山中に住んでいたんじゃ。でもある年八幡宮がこの鶴岡に勧請《かんじょう》((1)神仏の来臨を請うこと。(2)神仏の分霊を他の場所に移しまつること。宇佐神宮から分霊を迎えて石清水八幡宮をまつったことなどはその例。大辞林第二版より)されることになり、その神木として数ある銀杏の木の中からわしが選ばれ植え替えられることになったんじゃよ。それから幾年月が経ったじゃろう。いったん神木となってからは、もったいなくもこのように幹の周囲に注連縄が張りまわされ、誰一人手さえ触れようとしない。中には八幡宮を拝むと同時にわしに向かって手をあわせて拝むものまでおる。これというのも皆神様のご加護のおかげで、よその銀杏と違って何年経っても枝も枯れず、幹も腐らず、日本国中で無類の神木として、ホレこの通り今も栄えているような次第じゃよ。』

『長い年月の間にはいろいろなことをご覧になったでしょう。』

『それは見ましたよ。あんたも知っている通り、ここ鎌倉というところは、幾度となく激しい合戦の舞台となったからね。ある時なんかは、この銀杏の下でご神前もはばからない一人の無法者が、時の将軍に対して刃傷沙汰に及んだ事もあるよ。(建保七年、1219年1月27日、鎌倉三代将軍・源実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁に殺害された事件を指すと思われる。訳者注)そんな時、人間というのは何てむごい事をするんだろうと嘆いたもんじゃ。』

『でもよくこの銀杏の木に暴行を加えるものがなかったですわね。』

『それは神木であるお陰じゃよ。わしの他にこの銀杏には神様の御眷属が大勢ついておられるからね。もしちょっとでもこれに危害を加えようものなら、たちまち神罰が下るだろうよ。ここで非命に倒れたかの実朝公なども今はこの木に憑いて守護にあたっておられるよ。ああちょうどいい機会じゃ。あんたも一応それらの方々にお目にかかるとよいだろう。皆さんここにお揃いじゃよ。』

 そう言われて驚いて振り返ってみると、甲冑をつけた武将や、高級な天狗様なんかが数人木の下に佇《たたず》まれて、笑顔で私たちの様子を見守っておられましたが、中でも強く私の眼を引いたのは、世にも気高い若々しい実朝公のお姿でした。

 

 そうでなくても不思議な妖精たちの探検に、こんなおまけの見物までさせてもらって、心から驚くことが多かったせいか、その日の私はいつになく疲労を感じ、夢見心地でやっと修行場に引き返しました。

 


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