心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('03.02.03)

五十二.瀑布《たき》の白龍


 

 たった一人でそんな山奥の滝つぼの縁に暮らすようになって寂しいかとのお尋ねですね。全然そんなことはありませんでしたわ。そんな気持ちに襲われたのは死んでから間のない頃のことだけで、修行が進むと自分の身辺はいつも神様のありがたいお力に守られているような気がして、どこにいても安心した気持ちでいられるんです。しかも今度の私の修行場は、山の修行場よりも一段格の高い清浄な地で、そこには大そう立派な一体の白龍様が鎮《しず》まっておられました。

 ある時私が一心に統一の修行をしていると、誰かが私の背後で名を呼びました。『指導役のおじいさんかしら。』そう思ってふと振り返ってみると、そこには六十歳前後に見えるすごく品のいい、凛々しい感じの白衣の老人が立っていました。私は一目見て、これはきっと尊い神様だと分かり、丁寧に挨拶をしました。それがつまりこの滝の白龍様なのでした。

『私は古くからこの滝を守っている年寄りの龍神だが、このたび縁あってあなたを手元にあずかることになり大変喜ばしいよ。一度あなたに会っておこうと思って、今日はわざわざ老人に化けて出てきたんだ。人間と話をするのに龍体のままではちょっと具合が悪いのでね。』

 そう言って私の顔を見て微笑みました。私はこんな立派な神様が時々姿を現して親切に教えてくださるのかと思うと、かたじけないやら、心強いやら、そんなこんなで自然と涙ぐんじゃいました。

『これからはどうぞよろしくご指導お願いいたします。』

『私の力の及ぶ事なら何でも言いなさい。すでに龍宮界からもあんたのためによく世話を焼けとお指図があった。遠慮なく聞きたい事を聞いていいのだよ。』

 こんな風に親身になっていろいろとやさしく言ってくださいますので、もったいないとは思いつつも、いつしか懇意なおじさまとでも向き合っているような、打ち解けた気分になっちゃいました。

『あのー、大変失礼かと思いますが、あなたはよっぽど長くここにお住まいですか。』

『さて人間界の年数に直したら何年ぐらいになるかな。』と老龍神はニコニコしながら言われました。

『少なく見積もっても三万年ぐらいにはなるだろうね。』

『さ、三万年!』私は心底ビックリしちゃいました。

『きっとその間にはいろいろ変わった事件があったんでしょうね。』

『もともとこちらの世界の事だから、そんなに変わったことなんてないよ。最初ここに来た時に蒼黒かった私の体がいつの間にか白く変わったぐらいのものかな。いつか私の本当の姿を見せてあげようか。』

『それはいつですか。今ですか。早く見たーい。』

『いやいや今すぐというわけにもいかんのだよ。あんたの修行がもう少し進んで、もうよかろうという時になったら見せてあげよう。』

 その時はそんな話をしただけで別れましたが、私としては一日も早くこの滝の龍神様の本体が拝みたくなっちゃいまして、それからというものは一心不乱に精神統一の修行を続けました。場所が場所だけに、その頃の統一状態は以前にくらべてずっと深くなっており、自分でもより純粋になれてきたように感じたものでした。

 それからどのくらいの月日がたった頃でしょうか。ある日突然私の眼の前に、一筋の光明がまるで洪水のようにドッと押し寄せてきました。いったんはハッと驚きましたが、それが何かの前兆ではないかしらと気がついて心を落ち着けてみますと、それに引き続いて滝の方向で異様な物音が響き始めました。

 私はただちに精神統一をやめて、急いで滝つぼの上に走り出て見ますと、果たせるかなそこには一体の白龍がいました。爛々と輝く両眼、すっくと伸びた大きな二本の角、銀のような鱗《うろこ》、槍を植えたようなたくさんの牙、そして胴のまわりは二尺(約60cm)ぐらい、長さは三間(約5.4m)ぐらいでした。そんな大きな、神々しいお姿が、ドッと落ちてくる飛沫《しぶき》を全身に浴びつつ、悠々とした態度で岩を伝って上へ上へと登っていかれました。

 これほどの荘厳無比の光景を目の当たりにした私は、感極まって言葉も出ず、思わず両手を合わせてその場に立ち尽くしたのでした。

 私はそれ以前にも何度か龍体を目撃していましたが、このときほど間近で立派なお姿を拝んだ事はありませんでした。その時の光景は、とても私のつたない言葉で尽くすことはできません。どうかお察しくださいね。

 


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