滝の修行場で、私が実際に滝を浴びて修行をしたかとのお尋ねですね。そんなことはありませんわ。私はただ滝の音に溶け込むようにして、心を鎮めてすわっていただけです。そうすると、なんともいえない無我の境地にいざなわれていくんです。雑念なんかちっとも浮かびません。肉体のあるものは水に打たれるのもいいかもしれませんけど、私たちにはあまり効き目がないようです。また指導役のおじいさんも、『滝にはかからなくても、その気分になればいいよ。』とおっしゃいましたもの。 ある日私が統一の修行に疲れて、滝つぼの所でぼんやり水をながめていますと、滝の龍神様がまた例の白衣姿で白木の杖をつきながら、ひょっこり私のそばに現われました。 『ちょうどいい機会だから、あんたを山の上に連れて行って、面白いものを見せてあげようと思うんだが。』 『面白いものってなんでしょうか。』 『ついてくればわかるよ。あんたはせっかく修行のためにここに来たんだから、この際できるだけのことを見聞きしておいたほうがいいからね。』 こんなありがたいお申し出を断る理由もありませんので、私は早速身支度して、この親切な老いた龍神さんのあとについて出かけることになりました。 滝の右手にクネクネと続いている狭い山路を、私たちは上へ上へと登って行きました。まわりを見ますと、その辺りは老木がぎっしりと茂っているすごく寂しい深山で、なぜかやまびこがよく響きました。ようやく山林地帯を抜け出ると、そこはもう山の頂上で、芝が一面に生えており、なかなか見晴らしのいい所でした。 『実は今日ここで、あんたに雨降りの実況を見せるつもりなんだよ。と言っても別に私が直接やるわけじゃないけどね。雨には雨の係があるからね。』 そう言って、滝のおじいさんは目を閉じてちょっと黙祷なさいましたが、間もなくゴーッという音がして、それがあちこちの山にこだまし、しばらくやみませんでした。 ふと見ると、向こうに一人の若い男性の姿が現れました。年は三十歳ぐらいで、身には丸みのついた袖の浅黄色の衣服をつけ、足には草履に足袋《たび》をはき、すごく身軽な装いでした。髪は茶筅《ちゃせん》(※訳注)に結っていました。 『彼は雨の龍神さんが化けられたのに違いないわ。』一目見た私はすぐそう感付きました。不思議なんですけど、いつの間にかその頃の私はそれぐらいの見分けがつくようになっていたんです。 おじいさんは言葉少なに私をこの若者に紹介してくれ、言いました。 『今日はご苦労さん。ひとつ私の所で修行中のものに、雨を降らせる実況を見せてやりたいんだがね。』 『承知いたしました。』 若者は快く引き受け、すぐにその支度に取りかかりました。別に支度といってもそんなに面倒くさいものではありません。ただ上の神界に向かって真心を込めて祈願するだけで、その祈願がかなえば神界から雨を賜るという仕組みのようです。つまり自然界の仕事には何重にも奥があり、いかに雨の係の龍神さんとはいっても、自分の力だけで勝手に雨を降らしたり、風を起こしたりはできないようです。 それはさておき、年の若い雨の龍神さんは、滝の龍神さんと一緒になって、口の中でモゴモゴ何か唱えられながらしばらく祈願されていましたが、それが終わると同時にプイとその姿が見えなくなりました。 『あれは今龍体に戻ったんだ。』とおじいさんが説明してくれました。『龍体に戻らないと仕事ができないのでね。そのうち始まるだろうから、しばらくここで待っていなさい。』 そんなことを話している間にもおじいさんには通信があるらしく、何かしきりにうなづいていました。 『何か面倒が起こったんですか?』 『いや、そうじゃないよ。実は今神界から、雨を降らせるにあたっては、せっかくだから雷も一緒に見せてやればとのお達しがあったんだよ。だから今大急ぎでその準備をしているんだ。』 『ええ、雷も?それはぜひ見てみたいですわ。』 ※訳注:茶筅《ちゃせん》----(1)男子の髪形の一。室町末頃に始まる。髪を頭頂で束ね、根元から組み緒などで巻き立て、先を巻き残したもの。巻いた部分が柄で、先が穂である茶筅に見える。(2)女子の髪形の一。切り髪(1)に似て、髷が茶筅状であるもの。江戸時代、京坂の未亡人が結った。大辞林第二版より |