心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('03.02.25)

五十四.雷雨問答


 

 それから私はかなり強烈な雷雨の実演を見せていただいたんですが、パッと見には、それは現世で見ていた雷雨の光景とあまり違いはありませんでした。まずはるか彼方の山の方で、ゴロゴロという音がして、同時に目もくらむばかりの稲妻が光りました。そのうち空が真っ暗になって、あたりが篠つくような激しい雨のために白くかすんでいきました。ただそれだけでした。

 でもよくよく目をこらせば、それは現世ではとても考えられないような不思議な、そしてものすごい光景が展開されているのでした。

『雨雲の中をよく見なさい。決して目を離さないでね。』

 おじいさんから注意されるまでもなく、私は一心不乱に深い統一に入ったまま黒雲の中を見つめていたのですが、たちまち一体の龍神の姿がそこに浮かび上がってきました。

『きゃー、鼠色の龍神さんが、大きな口を開けて、二本の角を振りたてて、雲の中をすごい勢いで駈けていったわ。』

『それがさっきここに来たあの若者だよ。』

『今度は向こうの山をかすめて、白い大きな龍神さんが、目にも止まらない速さで横に飛んでいきましたわ。何てすごい眼の色をしているのかしら。』

『それが雷の龍神の一人だ。力量はそっち方のほうが数段上だ。』

『あれ、雨の龍神さんがこちらの方を向いて何か合図をされて、飛んでいっちゃいましたよ。』

『それはそろそろ雨を切り上げようという合図だよ。もうすぐ雨も雷も止むだろう。』

 おじいさんの言う通り、雷雨はすぐにピタリと止み、山の上は晴れた穏やかな最初の景色に戻りました。

 私は夢から覚めたような気分で、しばらく口もきけませんでした。

 少しして私は滝の龍神さんと向かい合い、その日見せられた事についていろいろお尋ねしましたが、いくら尋ねたところでやっぱり私の霊としての器の範囲内でしかわかるはずがありませんね。だからあまり参考にならないかもしれませんが、ともかくその時の問答を一部始終お伝えしておきます。

 

問『雨を降らせるのと、雷を起こすのとでは、いつもその受持ちが違うんですか。』

答『もちろんそうだ。私たちの世界にもそれぞれ受持ちがあるんだよ。』

問『どんな仕掛けであんな雨や雷が起こるんですか。』

答『さあ、それは大変難しい問いだね。一口に言えば念力によるんだが、もちろんただそんな説明だけでは十分じゃない。天地の間には動かすことのできない自然の法則があり、その法則に背いては何事もできない。念力はもちろん大切で、念力なしには小雨一つ降らせる事なんてできないんだが、しかし何より大切なのはその念力が自然の法則に叶っていることなんだ。さっき雨を降らせた時だって、私たちが第一に神界のお許しを受けたのはそこなんだ。大きな仕事になればなるほど、ますます奥が深くなる。私たちはいわば神と人との間を取り持つ一つの生きた道具なんだよ。』

問『さっきの雨と雷は、どっちも一人でされたお仕事ですか。』

答『雨の方はただ一人の龍神の仕事だった。あなた一人のために降らせた程度のにわか雨であったから、その仕掛けもごく小さかった。でも雷の方は、あれで二人がかりでした仕事だ。こればかりはどんな時だって二人要る。一方は火龍、もう一方は水龍だ。つまり陰と陽との別な働きが加わるから、そこにはじめて雷鳴だの稲妻だのが起こるのであって、雨に比べるとこの仕事の方がはるかに手数がかかるんだよ。(※訳注)』

※訳注:雷が雲と雲の間、あるいは雲と大地の間の巨大な放電現象であり、電気の物理的特性を知っている私たちには非常に興味深い説明である。訳者注。(なお下のウェブページに雷の特性がわかりやすく書かれていますので参照してください。)

中國新聞NIEHP・ナウクエスチョン「雷 なぜ起こる」
http://www.chugoku-np.co.jp/Nie/question83.html

 


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