心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('03.03.13)

五十五.母の訪れ


 

 私が滝の修行場に滞在した期間はさして長くなかった上に、あそこはいわば精神統一の特別の行場でしたので、特にこれといってお話するほどの面白い事もありませんでした。私はあの滝の音を聞きながら、いつもその音の中に溶け込むような気分で、自分の存在も忘れて、ウットリとしている事がよくありました。そんな修行のお陰で、私の精神統一の度合いもずっと深くなり、物を見るときなんか自分でも以前よりずっと楽になったように感じられました。こちらの世界だってすべては修行次第で、のんきに遊んでばかりいたんでは、決して進歩するものではありませんのよ。本音を言っちゃいますと、私なんか相当執着が強い方で、その上自分自身なるべくのんきに過ごしたい方なんですけど、身魂の因縁でしょうか、上級界の神様のお指図で、修行から修行へと次々に追い立てられつづけたお陰で、やっと人並みになったようなものです。考えてみるとずい分恥ずかしいお話ですよね。

 それはそうとこんな滝の修行時代にも、思い出の種が一つ二つないわけでもありません。その一つは、私の母がわざわざ尋ねてきてくれたことで、それが帰幽後の親子の初対面でした。

 この対面については、前もって指導役のおじいさんからお知らせがありました。『あんたのお母さんも近頃はやっと修行が進んで、外出もできるようになったということだから、ぜひ一つここらであんたに会わせてやろうと思っている。まあそのうちにこちらにお見えになるだろう。』私はそれを聞いたときは、嬉しさで胸が一杯になりました。そして母に会ったらこれも言おうあれも聞こうなんて、生前から死後にかけての積もり積もった様々な出来事が、ちょうど嵐のように私の頭の中に一度に押し寄せてきたのでした。

 特に私の脳裏に強烈に浮かんでくるのが、前にもお話しましたっけ、母の臨終の光景なんです。見る影もなく老いさらばえた面影、断末魔の激しい苦悶、無気味に光る二本の白い紐、そしてあの臨終の床を取り巻いた、現幽両界の多くの人たちの姿。私はその時のことを思い出して思わず涙に暮れつつも、差し迫った再会に際して母がどんな様子で現れるのか、あれやこれやと想像をたくましくするのでした。

 間もなく森閑と静まり返った私の修行場に、なにやら人の訪れた気配がするじゃありませんか。ふと振り返ってみると、それは一人の指導役の老人に付き添われた、私の懐かしい母親でした。

『お母さん!』

『姫!』

 お互い駆け寄った二人は、すがりつきあってその場に泣き崩れてしまいました。

 その時の母の様子は、臨終の時とはビックリするほど変わってしまい、年も十歳ばかり若返ったようで、顔もすっかり朗らかになっていました。母の方でも私が諸磯の侘び住まいにくすぶっていた時と打って変わって、若々しく元気になっちゃったのを目の当たりにして、自分の事のように喜んでくれました。

『こんなにあなたが立派な修行を成し遂げているとは知らなかったわ。あなたの体は、ちょうど神様のように光って見えますよ。』

 そんなことを言いながら、私の体を右から左からしげしげと眺めるのでした。これも生みの親の所作だなあと、いつの間にか涙があふれてきちゃいました。

 ふと気付くと、庭先まで案内の労をとって下さった母の指導役のおじいさんはいつの間にやら姿を消して、私たち親子だけが取り残され、すべてを二人の判断に任されたのでした。

 


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