心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('03.03.18)

五十六.つきせぬ物語り


 

 母に逢えたらこんな事も言おう、あんな事も言おうと心構えをしていたのですが、いざこうして母と膝をつき合わせてみると、色んな思いで胸が一杯になっちゃって、思っている事の十分の一も言葉が出ず、ともすれば泣きそうになって仕方ありませんでした。

『こんな事じゃみっともないわ。今日は楽しく語り合わなくちゃ。』

 私は一生懸命涙を見せまいと努力したんですが、それは母も同じだったらしく、そっと涙を拭いては笑顔で話し続けようとしていました。

『あなたはこちらではどんなところに住んでいたの。最初からここではないと聞いているけど。』

『私はこちらでもう三回修行場を移ったんですよ。最初は岩屋の修行場で、そこにはしばらくいました。次にいたのが山の修行場で、その時代に龍宮界その他いろいろ珍しいところに連れて行ってもらいました。そうそう、その頃夫をはじめ多くの人たちにも会わせていただきました。現在この滝の修行場へ移ってからは、まだそんなになりませんわ。』

『まあ、あなたは何て素敵な事ばっかりしてきたんでしょう。』母は心から感心した様子で言いました。『母さんなんか岩屋の修行だの山の修行だの、そんな変った体験は一度だってしていませんよ。まして龍宮界だ何て夢みたいじゃない。あなたはやっぱり特別の使命を抱いて生まれた人に違いないわ。私の指導役のおじいさんもそんなことを言ってましたもの。』

『まさかそんなことはないでしょうけど。』

『いいえ、そうに決まってます。いつか時が来たら、あなたは何かきっと大事な仕事を授けられますよ。どうかそのつもりで、今後もしっかり修行に精を出すのよ。母さんなんかは他の多くの人たちと同じく、こちらに来てから産土神様のお近くで、一つの部屋をあてがわれ静かに修行をしているだけなんですから。』

『お父さんとは一緒じゃないんですか。』

『一緒ではありません。現世に生きていた時は、夫婦は同じ場所に行けるぐらいに考えていたけど、こちらに来てみると同棲なんてとんでもないということがよくわかります。身魂の関係で夫は夫、妻は妻と、ちゃんと区別されているから。もっとも私たちの境涯でも会おうと思えばいつでも会えるし、話だってちゃんとできますけど。こんなこと言うとあなたに笑われるかな、母さん一度指導役の神様に向かい、あんまり心細いからせめて父さんとだけは一緒に住ませて下さいとお願いした事があるの。でも神様はどうしても私の願いをお聞き入れになって下さらないので、その時の母さんのガッカリしたことといったらなかったわ。母さん今でもいつになったら夫婦、親子、兄弟が昔のように楽しく一緒に暮らせる日がくるのかと思わない日はありません。あなたはそんなことない?』

『ないこともないけど、近頃統一が深くなったためかしら、だんだんそうした考えが薄らいじゃってきたみたい。修行が進めば進むほどそんな考えはどうでもよくなっちゃうんだと思う。龍宮界の神様たちのご様子を見ても、いつも夫婦親子が同棲しているわけじゃないみたいだし。それぞれご用が違うので、普段は別々にお働きになり、たまにしかご一緒にくつろがれないみたいですもの。』

『神様でもやっぱりそうなんだ。じゃあ母さんなんかは、まだまだ現世の執着が残ってるってわけね。これからはあなたにあやかり、あんまりグチらないように気をつけましょう。今日は本当によいことを聞きました。あなたがこんなにまで修行が進んだのを見ることができて、母さんほんとに嬉しい……。』

そう言いながらも母の眼には、涙が一杯たまっているのでした。

 


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