心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('03.03.31)

五十七.有難い親心


 

 それからたずねられるままに母に向かって、帰幽後にこちらで見聞きした様々なことを物語りましたが、いつも一室に閉じこもって単調な毎日を送っていた母にとっては、その一つ一つの話がすべてびっくりする事ばかりだったようです。最後に最近滝の龍神さんの本体をおがませてもらった話をしますと、母は本当に驚いたようでした。

『母さんもこちらの世界に来ているのに、まだ一度も龍神さんの御本体なんかおがましてもらった事はないわ。今日はあなたを訪れた記念に、ぜひこちらの龍神さんをおがませてはもらえないかしら。あなたからもお願いしてみてくれない。』

 これには私も困っちゃいました。はたして滝の龍神さんがこころよく母の頼みを聞いてくださるかどうか、全く見当がつかなかったんです。

『ともかく私から折り入ってお願いしてみるわ。ちょっと待ってて。』

 私はまず一人で滝つぼの側を通って上のお宮に詣で、母の願いをかなえてくださるよう祈願しました。

 すると滝の龍神さんがいつものように老人の姿で現われ、にこやかにほほえみながら言われました。

『あんたたちの話はよく私にも聞こえていました。人間の親子の情愛というものは、私たちの世界のようにあっさりとはしとらんようだな。さてあんたの母上は、今日ここに来た手みやげに私の本体を見物したいとのことだが、これは少し困った注文でね。もったいぶるわけではないんだが、あんたの母上の修行の程度では、私がいかに見せたいと思っても、まだとてもまともに私の姿を見ることなどできないよ。とはいってもせっかくの頼みごとだから、何とか便宜をはかってやらなければと考えてはいるんだが。とにかくお母上を滝つぼのところに連れてきなさい。』

 私は早速母を、修行場から滝つぼのほとりに連れ出しました。二人で両手を合わせて一心に祈願していますと、やがてドッと逆落としのように落ちてくる飛沫の中に、二間(約3.2m)ぐらいの白い女性の龍神さんの優しい姿が現れて、岩角を伝ってスーッと上へ消えていきました。

『あれは私の子供の一人だよ。』

 声がしたので驚いて振り返ると、滝の龍神さんがいつもの老人の姿でニコニコしながら、私たちのすぐ後ろに佇《たたず》んでおられました。

 私は厚く今日のお礼を述べてから、母を引き合わせました。龍神さんはすごく優しく色々と母をいたわってくれましたので、母もすっかり安心して、ちょうど現世の母親がするように、私の身の上を懇々と頼むのでした。

『ふつつかな娘でございますが、どうぞ今後ともよろしくお導きくださいませ。何かと世話が焼ける娘で申し訳ございません。』

『いえいえ、あなたは良いお子さんを持たれて、大変にお幸せだ。』龍神さんてば、母に合わせてそんな人間っぽいお返事をなさいました。『近頃は大分修行も進んで、もう一息だよ。人間は執着が強いので、それを捨てるのがなかなかの苦労でね。ここまでくるのでさえ生やさしくはなかったな。』

『これから娘はどういう風になっていくんでしょう。まだ他にも色々修行があるんでしょうか。』

『いやそろそろ修行も一段落つくところだ。本人が生前気にいった海辺があるんで、これからそこへ落ち着かせる事になっています。』

『そうなんですか。それはそれは本人も喜ぶでしょう。』と母は自分の事よりも、私の前途について心遣いしてくれるのでした。『私が何度も訪問するのは修行の邪魔になるでしょうから、なるべく自分の住処《すみか》を離れないで、折々の消息を聞いて楽しむ事にします。そのうちこの娘の夫を訪ねさせてあげてください。きっと日々の修行の張り合いになると思うんです。』

『いや、それはもう少し待たないといけないな。』と滝の龍神さんはうろたえ気味に母を制しました。『あの人にはあの人の仕事があり、それぞれするべき事が違うからね。夫を呼ぶのは海辺の修行場に移ってからの予定になっているんだよ。』

『やはりそんなものでしょうか。私にはまだこちらの世界のことがよく飲み込めないので、時々とんでもない事をしでかしちゃいます。何ごとも神様の方でよろしくお取り計らいください。』

『その点は安心なさい。ではこれで失礼しますぞ。』

 滝の龍神さんがプイと姿を消し、それと入れ代わるように母の指導役のおじいさんが早速姿を現しました。母は名残惜しげに、それでも大して涙も見せずに、間もなく別れを告げて帰っていきました。

『やっぱり生みの親はありがたいもんだわ。』

 見送る私の眼からは、こらえきれずに涙がどっとあふれたのでした。

 


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