お客さまをお迎えする時、こちらの世界で何が一番物足りないかといえば、それは食べ物がないことです。それも神様の使者や大人ならまだしも、こんな小さな子供さんの場合には、いかにも手持ち無沙汰で、けっこう困ってしまいます。 仕方がないので、私はご愛嬌に滝の水をくんで二人にすすめちゃいました。 『ほかに何もさしあげるものなんかありません。滝の水でよければどうぞ召し上がれ。これならたっぷりありますから。』 『これはこれはなによりのおもてなし。雛子もごちそうになりなさい。世界中で何がおいしいといっても、水ほどおいしいものはありませんな。』 指導役のおじいさんはそんなご愛想を言いながら、教え子の少女に水をすすめ、またご自分でもさもうまそうに二、三杯飲んで下さいました。私の永い幽界生活中でも、お客さまと水杯を重ねたのは後にも先にもこのときだけで、今思い出すとわれながらおかしく感じられます。(※訳注1) それはそうとこの少女の身の上は、格別変った来歴というほどのものでもありませんが、その時の指導役のおじいさんから聞かされたところによると、多少は現世の人々の参考になりそうな所もありますので、そのあらましをお伝えしておくことにいたしましょう。 おじいさんから聞かされたところによると、少女の名は雛子、生まれて六歳のときにこちらの世界に引き移ったそうで、その時代は私の時代よりもよっぽど後、帰幽後ざっと八十年ぐらいにしかならないということでした。父親は相当高い位の大宮人(※訳注2)で、名は挟間信之《はざまのぶゆき》といい、母親の名は光代といいました。そして雛子はそんな夫婦の愛しい一粒種なのでした。 指導役のおじいさんは続いて次のように話し始めました。 『あなたも知っていると思うが、こちらの世界では心の純粋な、迷いの少ないものは、そのままわき道にそれず、すぐに産土神のお手元に引き取られる。特に浮世の罪に汚《けが》されていない子供は、ほとんど例外なく皆そうなる。そんなわけでこの娘も、帰幽後すぐに私の手で世話する事になったんだ。だけど困ったことにこの子の両親はかたくなな仏教信者であったために、わが子が早く極楽浄土に行けるようにと朝晩欠かさずお経をあげて、しきりに娘の冥福を祈っていたのだ。その時本人はすやすやと眠っていたからよかったようなものの、指導役の私はたまったもんじゃなかったな。もちろん人間一人一人には賢愚、善悪などの様々な違いがあるので、仏教の方便もまったく役に立たないかといえばそうではなく、迷いが深いもの、わかりが悪いものには、しばらくこちらで極楽浄土の夢でも見せて仏式で修行させるのもいいかもしれん。でもこの娘にはそうした方便の必要なんかぜんぜんなかったのだ。もともと純粋な子供の修行には、最初から幽界の現実に目覚めさせるのが一番いい。そんなわけで私はこの娘がいよいよ眼を覚ますのを待ち、服装なんかも日本古来のものを身に着けさせ、そのような姿で地上の両親の夢枕に立たせてやった。そして自分は神様に仕えている身だから、仏教のお経をあげることはやめてくださいと、両親の耳にひびかせてやったんだ。最初彼らは半信半疑だったけど、同じことが三度、五度と度重なるにつれて、ようやくこれではいけないと気がついたみたいだ。しばらくしたら現世から清らかな祝詞《のりと》の声が響いてきたもんね。いやとにかく、一人の子供を満足に育てるのはなかなか大変だよ。幽界でだってやっぱり知識は必要なので、現世と同じように書物を読ませたり、それから子供には子供の友達も必要というわけで、その世話をしてやったり、精神統一の修行をさせたり、神様の道を教えてやったり、あるいはあちこちに見学に連れて行ってやったりと、とても心から子供が好きじゃないとつとまる仕事じゃないんだよ。でもその甲斐あってか、この娘も近頃はすっかりこちらの世界にもなれ、よく私のいうことを聞いてくれるので助かるよ。今日は散歩に連れ出した道すがら、偶然にあなたにお会いしたというような次第です。この娘にとっては何よりの勉強なので、あなたからも何か声をかけてやってください。』 そう言って、老人はあたかも孫に接するような表情で、自分の教え子を膝元へ呼び寄せました。 『雛子さん。』と、私は早速彼女に向かって話しかけました。『あなたはおじいさんと二人きりで寂しくはないの。』 『ちっとも寂しくありません。』と、いかにもあっさりとした口調で答えました。 『まあ、偉いのね。でもお父さまやお母さまにお会いしたい時もあるでしょう。もう会いましたか。』 『たった一度会っただけです。おじいさんがあんまり会わない方がいいとおっしゃいますから。そんなに会いたくもないし。』 何を聞かれてもこの娘の答は簡単明瞭でした。やっぱり幽界で育った子供はどこか違うわ、なんて思っちゃいました。 『これなら修行も楽でしょう。』 私は心の中でつくづくそう感じたのでした。 ※訳注1:余談ながら、この項は訳者が最も好きなエピソードである。真の高級霊は、人霊の欲望のなせることとわかっていながら、さしてうまくもないであろう水を“さもうまそうに”二、三杯飲んでみせた。なんという大きな度量だろう。小桜姫もさすがに霊的成長と共に同じような事はしなくなったようだが、当時の自分の行動に対する気恥ずかしさと、それを補って余りある龍神の度量の広さが印象的で、とりわけ記憶に残る出来事となったのだろう。※訳注2:朝廷に仕える貴族。公家《くげ》。 大辞林第二版より |