. その日はそれぐらいで別れましたが、その後ちょくちょく二人の訪問がありました。それが縁で、私はこちらの世界でこの娘の母親とも面会する機会がありました。なかなかしとやかな婦人で、娘のことばかりをしきりに気にかけていました。その時私たちの間で交わされた問答の中には、多少皆様のご参考になることがありそうなので、要点だけでもここに記しておきます。
問『あなたは生前大そうご熱心な仏教信者だったそうですが。』 答『私どもは平生厚い仏教信者だったというわけでもなかったんですが、可愛い子供を失った悲嘆のあまり、阿弥陀さまにお願いして、あの娘が早く極楽浄土に行けるようにと、一心不乱にお経をあげたというわけなんです。こちらの世界の事情が少しわかってくると、そんな考えがいかに浅はかなものかよくわかりますけどね。でもあの頃の私たち夫婦はまるきり迷いの闇に閉ざされ、そんなことがわが娘の救われるよすがであると、愚かにも思い込んでいたのでした。結局私たちはあべこべに娘のお陰で救われました。二人が毎晩夢の中で続けざまに見た、あの神々しい娘の姿といったら……。さすがの私たちの曇った心の鏡にも、だんだんとまことの神の道がおぼろげながら映ってきて、いつのまにかご神前で祝詞を上げるようになりました。私たちは全く雛子の小さな手に導かれて神様のみもとに近づくことができたというわけなんです。私がこちらの世界へ来る時も、真っ先に迎えに来てくれたのもやはりあの子でした。その時私は飛び立つ思いで、今行きますよ、と言ったところまでは覚えていますが、そこは修行未熟の身の悲しさ、それから先のことはさっぱりわからなくなってしまったんです。後で神様からうかがったところでは、私はそれから十年近くも眠っていたということで、自分のことながらあまりの不甲斐なさにあきれてしまいました。』 問『いつお子様とはお会いになられましたか?』 答『自分が気がついた時、私はてっきりあの娘が自分の側にいてくれるものと思い込み、しきりにその名を呼んだんです。でもいくら呼んでも呼んでも、あの子は姿一つ見せてはくれませんでした。ふと気がつくと、見知らぬ老人が枕元に立って、じっと私の顔を見つめていました。やがて老人がゆっくりと口を開いて、次のように言われました。あんたの子供は今ここにいないのだから、いくら呼んでもダメだ。修行が進んだら会わせてやらんでもないけどね。それを聞いてその時の私は、何て無愛想な老人かしら、と心の中でうらみごとをつぶやきました。後で事情がわかってみると、この老人こそこちらの世界で私を指導してくださる、産土神のお使いだったのでした。とにかく修行次第ではわが子に会わせてもらえるということがわかりましたので、それからの私は未熟者なりに一生懸命修行に励みました。そのお陰かやがてとうとう日頃の願いがかなう日がやってきました。どこをどう通ったのやら途中のことはさっぱりわかりませんが、指導役の神さまに連れられて、娘の住まいを訪ねて行きました。あの子の亡くなったのは六つのときでしたが、彼女がこちらの世界ですごく大きく育っていたのには驚いてしまいました。幼い時の面影はそのままながら、どう見ても十歳ぐらいに見えたんです。私は嬉しいやら、悲しいやら、夢中になってあの子を両腕で必死と抱きかかえました。でも結果的にその瞬間までが喜びの絶頂となってしまいました。私はなんだか奇妙な感じ、あらかじめ想像していたのとは全然違う、なんだか物足りない感じにはっとさせられたのです。』 問『つまり軽くて温かみがなく、手で触ってもカサカサした感じだったんですね。』 答『そうその通りです。せっかく抱いてもさっぱり手ごたえがないんです。こればっかりは現世の生活の方がよっぽどよく感じられて仕方ありません。神さまのお言葉によれば、いつか時期が来れば、親子、夫婦、兄弟が一緒に暮らすことになるとのことですが、あんな具合では、たとえ一緒に暮らせても、現世のようにそう面白くはないのではないでしょうか。』 二人の問答はまだまだ続きましたが、ひとまずこの辺で切り上げる事にしましょう。現世生活にまだまだ未練の残っている、つまらない女性達のぼやきをいつまでも伝えてみたところで、そう興味を引くものにもならないでしょうから。 |