私が神社に入ってから間もないころに対応した一つの事件がありますので、その話からしましょう。それは溺れた五歳ぐらいの男の子の命を助けた話です。 その子どもはかなり地位の高い人、確か旗本とかいう身分の人の息子で、普段は江戸住まいなんですが、お付きの女中というのが諸磯の漁師の子なので、彼女に連れられてこちらに遊びにきていたのでした。ちょうど夏のことでしたから、子供は家の中になんかいないで、海岸で砂遊びをしたり、魚釣りをしたりして遊びに夢中でした。一、二度は女中と一緒に私のところにお参りにきたこともあります。普通ならいちいち参拝者を気に止めることなどないんですが、この女中というのが珍しいほど心がけがいい、信心の厚い娘でしたから、自然と私の方でも目をかけることになったんです。現界、幽界の違いはあっても、人情に変りはありません。先方が熱心なら、こちらもつい真心にほだされるというわけなんですの。 ある日この子の身に、とんでもない災難が降って湧いたんです。ご存知の方もおられるでしょうが、三崎の西海岸は岩で囲まれた水溜りがあちこちにあり、土地の漁師の子どもたちは、よくそんなところで泳いで遊んでいました。真っ黒に日焼けした身体を踊らせて潜水をしている所なんかはまるで河童のようで、よくもそんなに無邪気にふざけられるものだわと感心しちゃうほどです。江戸から来ていた子どもはそれが羨《うらや》ましくてたまらなかったんでしょうね。泳げもしないのに、女中の留守をついて裸になり、深い水溜りに飛び込んだからたまりません。たちまちブクブクと水の底に沈んでしまいました。しばらく時間が過ぎてから、そのことが村中に知れ渡り、大騒ぎとなりました。何しろ付近に医者なんかいない所ですから、漁師たちが寄ってったかって、水を吐かせたり、焚き火で暖めたり、いろいろ手を尽くしましたが、相当時間がたっていたせいか、どうしても息を吹き返さないのでした。 いよいよ絶望的となった時、私のもとへ夢中で駆けつけてきたのが、例のお付きの女中でした。彼女はすでに半狂乱で、髪を振り乱して階段の下に突っ伏し、一生懸命泣きながら祈願するのでした。 『小桜姫さま、どうぞ若さまの命をお取り留めください。私の過ちで大事な若さまを死なせてしまったんでは、どうしたってこの世に生きてなんかいられません。たとえ私の命と引き換えにしてでも、若さまの命を助けてください。今度だけはぜひ私の願いをお聞きくださいませ。』 私も心から気の毒に思い、すぐに一生懸命神さまに命乞いの祈願をしましたが、何分すでに手遅れの状態で、神界からは一応ダメであるとのお告げがありました。しかし人間の真心というものは、こんな時大変な働きをするものらしく、不思議な神の力が私から娘へ、娘から子供へと一筋の光となって注ぎかけ、とうとう死んだはずの子供の息が吹き返したのでした。全く人間は真心一つが大切みたいで、一心不乱になっちゃいますと、身体の中からなんだか一種霊気みたいなのが出て、普段は考えられないような不思議な働きをするらしいんです。 とにかく死んだはずの子供が生き返ったのを見たときは、私自身も心から大喜びいたしました。ましてや本人はよっぽどうれしかったらしく、すぐにたくさんのお供物を携えてお礼に来てくれただけでなく、その後も終生私のもとへの参拝を欠かさないのでした。彼女なんかは善良な信者の見本みたいなものですわ。 |