心霊学研究所
『心霊学より日本神道を観る』
浅野和三郎
('00.07.21作成)

十三章 審神者の悲喜劇


 

 審神者《さにわ》という言葉は、ごく近代のもので、あまり適当な用語ではありません。古事記には沙庭という言葉が使われ、これを「さには」と読ませています。かの仲哀《ちゅうあい》天皇の帰神《きしん》のくだりの一節に----

「その大后《おほきさき》(訳注:先代または先々代の天皇の皇后)、息長帯日売命《おきながたらしひめのみこと》は、当時《そのかみ》帰神《かむよ》りたまへりき。かれ天皇《すめらみこと》、筑紫《つくし》の訶志比宮《かしひのみや》に座しまして、熊曾国《くまそのくに》を撃《ことむ》けたまはむとせし時に、天皇、御琴《みこと》を控《ひ》かして、建内宿禰大臣《たけしうちのすくねのおほおみ》沙庭に居て、神の命《みこと》を請《こ》ひ奉《たてまつ》りき。ここに大后帰神《かむがかり》して、言《こと》《おし》え覚《さと》して詔《の》りたまはく……」

 沙庭という文字は読んで字の如く、本来ただ砂の庭のことですが、しかし「沙庭に居る」という成句になると、別の新しい意義を持っているようです。当時帰神の修法《しゅほう》は、極めて神聖な仕事としてあつかわれ、それを行う時には、清浄な地を占って斎場《さいじょう》をしつらい、そしてきまって白砂《しらすな》を敷きつめたものらしいのです。そんなところから、沙庭にいるということは、帰神《かむがかり》の審神者になるという意味に使われ、それで審神者という用語も現れたということでしょう。俗世間の行者たちは、普通これを安っぽく、前座などと呼んでおります。西洋の交霊会にあっては一層安っぽく、指導者とか、司会者などと呼んでいるようです。

 審神者だろうが、司会者だろうが、名称などはどうでもかまいませんが、ただ実地にこの仕事を行ってみますと、およそこの世にこれほど骨が折れ、これほどとりとめがなく、同時にまたこれほど予想外の番狂わせに接する仕事ときたら、めったにありません。他の大抵の仕事なら、ある程度まで想像ができますが、審神者の仕事ばかりは、ほとんど全くそれを望めません。十回が十回まで、百回が百回まで、様子が変わり、勝手が違い、常にびっくり々々し続けです。「とんでもないものに係わり合ったものだ」私は何度そう感じたか知れません。

 もちろん私だとて、何も自ら好んで、この仕事を買って出たわけでも何でもありません。思い巡らせば大正五年の春、ふとした動機から同志を集めて、精神統一の実修、西洋式に言えば、いわゆる家庭交霊会を催すことになったのですが、いよいよやってみると、他の人たちは、上手下手は別として、ともかくある程度の霊媒能力を発揮するのですが、私だけは、人一倍の努力をしても、なかなかものにならず、通常意識が泰然自若《たいぜんじじゃく》として頑張っています。私はいつもしれっとして、他人に起こる諸現象を客観的に見物するほかにないのです。その必然の結果として、私はいつしか他人の世話役、むずかしく言ったら、いわゆる審神者の役目を引き受けることになってしまったのです。

 この傾向は、私の綾部《あやべ》滞在数年の間に、一層顕著になりました。毎年何十、何百と押しかける人々は、当時大本教が売り物にしていた、鎮魂帰神の実修をきまって強要します。仕方がないから、私が采配をふるってその指導に当りました。いや連日連夜の鎮魂実修には、ひと頃は実際感心なほど身を入れたもので、当時を回顧して、よくもあんな無茶な真似が出来たものだと、今さら感心するほどです。私がある程度まで、審神の呼吸をのみ込むことが出来たのは、大部分あの荒修行のたまものであったと痛感します。

 大正十二年、心霊科学研究会を創立してからも、私と審神とは、依然として引き離すことのできぬものになりました。もちろん、大本教時代のように、人間でありさえすれば、老若男女を問わず、片端からその人に精神統一の実修を施すというような、無茶苦茶なことはもう致しませんが、何と言っても、心霊研究と霊媒とはつきものですから、真剣に心霊研究を行う以上、霊媒を捉えて、何とか処置をつけて行かねばなりません。しかも仕事が極端に綿密で、真剣であればあるほど、こうなってからの審神者の任務は、以前にも増して骨が折れること一通りではなく、時とすれば、ほとほと思案に余って、神経衰弱症にでもかかりそうな場合もあります。

 指折り数えれば、私がうっかり審神者の道楽をはじめてから、今年でまさに十八年、思えばずいぶん長い間、とんでもないものに引きずられてしまったものです。今後いつまでこの道楽が続くことになるものやら、もちろんそれは、ただ神様がご存じなだけで、私自身にはさっぱり見当がつきません。

 

 審神者の仕事が、なぜそう困難であるかは、少し考えてみれば容易に判ります。霊媒というものは、言わば一つの活きた通信機関で、本人の意識はできるだけ制限し、もっぱらその身体を、超物質界の居住者に提供することを目的とするのです。ところが右の超物質界の居住者というのが、人間から見れば、ほとんど未知数なのですから、霊媒現象がどこまで行っても、手に負えないわけです。人間同志ですら、言語、習慣、風俗などを異にする外国人となると、うまく意思の疎通ができません。いわんや全然別の世界に住む人々との交渉に於いてをやです。

 果せるかな古今を問わず、東西を論ぜず、いやしくも霊媒現象を取り扱った人たちで、時として煮湯《にえゆ》を飲まされないものは、ただの一人もありません。中には「霊というものは、どいつもこいつも嘘つきばかりだ」などと嘆息した心霊家もあるほど、見損ないをしがちなものです。見損ないだけですめばまだ良いのですが、どうかすると、生命まで棒に振りそうな危険に陥ることも、決して稀《まれ》ではないのです。

 が、この仕事がこんなふうに難しければ難しいほど、それがうまく行った時の満足感も、また他では無いほどのものです。第一流の学者、思想家たちが、一生涯かかっても、ついに突き止められなかった“物質世界”人生の秘密を、これによって比較的簡単に説明できた場合の喜びなどと来てはまた格別で、とてもこの世にこれに代わるほどのものは、何もないだろうと思われるぐらいです。この愉快さは、ただ知る人ぞ知ると言って良いかも知れません。

 一つこれから、私の過去十八年の審神生活中に起った、なるべく代表的な事例を拾い出して、作らず、飾らず一切をぶちまけ、皆様のご参考に資することにしましょう。少々きまりの悪いところも無いではありませんが、熱心な研究家にとっては、かえって本人のきまりの悪いものほど、役に立つかも知れないので、今さら包み隠しをするわけにも行かぬように感じます。

 まず第一に私が告白したいと思うのは、
 まんまと霊にだまされた場合
です。近ごろの私は、これでもある程度、霊の正体を看破《かんぱ》するための、何種類もの武器をもっているので、めったに彼らのために翻弄されるようなこともありませんが、それが揃う前までは、霊から騙され通しでした。審神者が恐れるに足りないと見ると、当然のように霊たちは、もったいぶった、重々しい態度や語調で、古事記に書いてある立派な神名だの、また歴史に残っている、偉人の名前だのを名のります。なかでも駄ぼらを吹きたがるのは、日本のいわゆる野天狗……つまり無責任、不規律な自然霊の一種で、彼らのほとんど全部が、偽名家であると言ってもいいぐらいです。審神者が「ご神名を伺います」などと下手に出たが最後、彼らはできるだけ鷹揚に構えて、やれ国常立尊《くにのとこたちのみこと》だの、やれ少彦名命《すくなびこなのみこと》だの、やれ大国主命《おおくにぬしのみこと》だの、その他大日如来だの、道臣命《みちのおみのみこと》だの、明治天皇だの、思兼命《おもいかねのみこと》だのと威張りちらします。要するに霊媒の潜在意識に存在するもの、または世間で通りの良いものを、口から出まかせに述べるものと思えば、間違いありません。その点は西洋でもほぼ同様で、バイブルに書いてある天使だの、預言者だのがたびたび濫用《らんよう》されます。

 私が審神者として、イの一番にこれにぶつかったのは、大正五年の春、M学士を鎮魂した時でした。入神状態に入ったと見て、私がビクビクしながら、どなたかと尋ねると、先方は横柄になって、「建御雷神《たけみかずちのかみ》」と名のったものです。当時の私は、あるいはそうかも知れないぐらいに考えて、相当に敬意を払って、いろいろな問題について、連日質問を重ねましたが、そのうち何やらその返答の中に、腑に落ちない箇所が見つかってきました。「こいつは少々眉唾物だ」私は心の中でそう考えたのですが、真正面から否定的態度をとって、衝突するのは少々気味が悪い。あの大きな目玉をらんらんとむいて、真っ向上段から怒鳴りつけられたら大変だ……ことによると、私の疑惑が間違いであって、本当の建御雷神だったとすると、取り返しのつかない事になるかもしれない。

 さんざん躊躇し、数週の苦慮の後、私は最後にとうとう意を決して、正面衝突を決行し、その結果先方をへこましてやりましたが、考えてみると、私がこんなに苦しんだのは、自分がヘボだったせいです。こちらにスキがあるから、相手がこれに乗じて、勝手なホラを吹いただけです。

 もともと、審神者として、相手の名のる神名などを考慮に入れるのが、そもそも間違いです。全然そんなものをアテにしないで、こちらで見分けをつけるのでなければ、危なくて仕方がありません。それならその方法とはどんなものでしょう? 別にそれは秘伝でもなければ、また名案でもなく、いずれもごくありふれたやり方ばかりに過ぎませんが、これから一つ簡単に、思いつくままを並べてみる事にしましょう。遺憾ながら、現在の日本には、この必要が大いにあるようです。今もって立派な神名を持ち出して、コケ威しをしている霊術家や、宗教団体が随所に見出されるのですから。

 私の観るところによれば、審神の方法は、大体三通りに分けられるかと思います。

 (一)は常識的判断で、急がずあせらず、冷静に霊示・霊言の結果を見るという方法です。つまり最初、私が例の建御雷神と名のったものに対して、試みたようなもので、ずいぶん回りくどく、そしてのろまで、ことによると、一年も二年もかかるかも知れませんが、しかし結局は、その正体を、どうやら突き止めることができるのです。いかに立派な霊だと自称しても、その預言が不正確であったり、その指示に辻褄の合わぬ箇所があったり、その気品や姿に浅薄下劣、または高慢な雰囲気があったりすれば、審神者は断固としてこれを否定せねばなりません。特にこのやり方は、自動書記、またはお筆先などという、証拠物件の歴然たるものに対しては、ぜひとも適用されるべきで、そうした場合には完全に公平、冷静、かつ周到な用意をもって、これに臨《のぞ》むべきです。かりそめにも一部分を観て、観念的にその全体を類推《るいすい》するような真似をしてはなりません。どんなものにも、多少の長所があると同時に、またどんなものにも、多少の欠点はあるものです。きれいにこれを選り分け、一般世間の人が真偽を迷うことを無くすのが、実に審神者の神聖なる任務です。

 ありきたりの既成宗教団体が、今日世間一般の人たちの信仰を受け続けられなくなった最大の原因は、実にこの点の用意に欠けるところがあるからだと確信します。自分の畑のものは、ことごとく金科玉条、他家の畑のものは、ことごとく嘘八百のデタラメ----こんな態度で臨まれては、心あるものは、誰しも眉をひそめます。宗教界、または霊術界の人たちは、まずもってこの醜態《しゅうたい》から脱出すべきです。さもなければ、今後一層識者から愛想をつかされてしまうでしょう。

 ここで私自身の恥をさらけ出すと、私は最初大本教祖の筆先に対した時に、とんだ失敗をしました。初めてそのような現象に出会ったものの常として、ひどくその長所に眩惑《げんわく》され、その中に散在する、いくつもの短所に気がつかなかったのです。イヤ気はついていても、これを大目に見るような傾向がありました。私がすっかり心の平静を取り戻したのは、実にかの筆先に接してから、二〜三年後のことでした。眼がさめるのに、ずいぶん長い時間を要したもので、現在から当時を回想すると、まるで夢のようです。

 が、あの苦い経験は私にとって、実にこの上ない良薬でした。そのお陰で、その後の私は、いくぶん用心深くなり、容易に最後の結論を下さず、また概念的にこれは邪霊だの、善霊だのとレッテルを貼るような、幼稚な真似はしなくなりました。そのために一部の人たちから、ずいぶん邪魔物あつかいを受けましたが、この態度ばかりは、そう簡単に中止するわけにはいきません。

 右の常識的判断は、審神者としての言わば定石ともいうべきもので、堅実ではあるが、しかし少しも審神者ならではの趣がありません。これと全然正反対なのが、(二)直感的判断です。相手の前に座った瞬間に、理屈抜きで、電光石火で相手を洞察するのです。昔からよく眼光紙背《がんこうしはい》に徹すとか、無声に聴き無形に観るとかいいますが、要するにこれは、鋭利で素早い直感能力の働きを指したものでしょう。実際直感というものは、実に不思議なもので、理性や常識ではつかめない、微妙極まるものを、苦もなく捉えてしまうのです。武術でも、芸術でも、各々その道に応じて、この能力が十分働くようにならなければ、決して一人前とは呼ばれませんが、もちろん審神者も、決して例外ではありません。単なる“お取り次ぎ”でははなはだ心細いのです。

 それならどうすれば、そうした能力を身につけられるかというと、無論ある程度までは才能もありますが、しかし大部分は、一心不乱の持続的鍛錬、つまり長い間の経験によって、次第に養成されるものと考えればよいのです。だんだん場数を踏み、失敗に失敗を重ね、苦心惨憺《さんたん》しているうちに、妙なもので相手の匂い、つまりその雰囲気が、ほのかに感じられるようになります。高級な浄化した霊魂には、浄化した雰囲気があり、執着だらけの亡者には、亡者の匂いがあり、その他自然霊、動物霊など、一つとしてそれ特有の雰囲気を帯びていないものはありません。「それなら、その匂いなり雰囲気なりはどんなものか、もっと具体的に説明せよ」といわれても、それは少し困ります。それは書画刀剣などの鑑定家が、説明に困るのと恐らく同様で、つまるところ一種のコツであり、秘伝なのですが、真の秘伝は、わざとそれを秘伝にするのでも何でもないのです。いかにこれを伝えようとしても、伝えるすべがないのです。

 こういうと、私がいかにも審神者としての、秘伝にでも通じているように聞こえるかも知れませんが、実際はドウしてドウして、私などは、まだほんの審神者の真似事をやるだけです。今後十年、二十年の苦い経験を積み、同時に私の心身の垢《あか》が、もっともっと拭き清められでもしたら、あるいはもう少し面白い境地に進み得るかも知れませんが、現在のところは、まだ全く駄目で、時として大きな見当違いをすることもあります。もっとも、百発百中で、一つの間違いもしないという時は、そろそろ現世にお暇を告げる時かも知れませんから、私もなるべく、あせらないように心がけています。

 常識的判断と、直感的判断----これら二つを適度に併用すれば、ドウやらコウやら、審神の役はつとまりますが、しかしこれには、他にもう一つの補助的機関があるべきです。他でもない、それは(三)霊能的判断で、もちろんこれは十二分な練磨を遂げた、霊媒たちが引き受ける仕事です。

 ちょっと考えると、審神者自身に霊媒的能力が備わっていれば、たいへん都合が良さそうなのですが、これは決して本筋ではありません。審神者というものは、その本来の性質上、徹頭徹尾人間としての立場を厳守すべきもので、したがって審神者に必要なのは、健全なる常識であり、また透徹《とうてつ》せる批判力です。ところが、常識と批判力とは、とかく霊媒能力と両立しない傾向があります。強いてこれをすれば、ある程度行えないこともないでしょうが、しかしどちらの能力も、中途半端なものになりがちです。私なども、最初三〜四年間は、しきりに霊媒的修行を試みたものですが、実験の上でこれは無理だと観念し、それ以来、取るに足りぬ自分の霊媒能力は、全部封じてしまい、自分の代わりに、信頼するに足る優れた霊媒を、なるべくたくさん養成する方針を立てました。これは確かに正しいやり方であったと確信しています。

 とにかくこうした方針のもとに、研究に十年の歳月を過ごした今日では、ほぼ私の思った通りに出来るようになりました。私どもの手元には、ほとんどどんな実験にも耐える霊視能力者が、二〜三人揃いましたので、人間に憑《かか》って来る霊魂の正体を看破《かんぱ》するぐらいは、極めて簡単な仕事です。世の中には、こうした照魔鏡《しょうまきょう》(訳注:悪魔やそのものの隠れた本性をうつし出すという鏡)が立派に出来上がっているとも知らず、勝手な嘘を吐く連中が、まだなかなか多いのですが、実に片腹痛い限りです。私からハッキリと申し上げると、日本国の心霊界は、正に百鬼夜行とでも言いたいぐらいです。

 が、審神者にとって、霊媒の提供する資料は、あくまで一つの参考であるにとどまります。審神者はたとえどんなに優れた霊媒の進言でも、絶対にこれを無条件に受け入れぬだけの用意と、覚悟とを常に持つべきです。なぜならば、霊媒は審神者の使用する一つの武器であり、これに盲従することは、主客転倒に陥ることだからです。

 が、それはそれとして、審神者がすぐれた霊媒を手許に持つということは、実に都合が良い話で、どれだけその気苦労が除かれるか知れません。下らない霊に翻弄《ほんろう》されたり、下らない人間を買いかぶったりするような事は、万が一にもなくなります。霊媒に盲従することは、もちろん誉めたことではありませんが、霊媒を無視することは、さらに一層誉められぬことです。非常に重要な天与の武器を捨ててかえりみない時に、損失を招くものは人間以外の何者でもあり得ないのです。

 

 不正直な憑依霊に悩まされた私の実験の話をしようとすれば、ほとんど無尽蔵に近いと言っていいのですが、それはしばらく別の機会に譲り、次に私がご紹介したいのは、
 乱暴な霊から、ひどい目に会わされた話
です。霊から騙されるのもまったく感心しませんが、霊から暴行を加えられて、九死に一生のさんざんな目に会うに至っては、さらに一層つらいものです。ところが、最初の二〜三年の間、私は「今度という今度は、いよいよお陀仏かな」と覚悟したことが、何度あったか知れません。審神者というものは、ある意味において、全く命懸けでなければ勤まらない職業《しょうばい》です。

 初めてこんなことを耳にされる方は、あるいは半信半疑、そこに多少の誇大表現がありはしないか、ぐらいに思われるかも知れませんが、少しここら辺の事情に通じれば、私の言葉に少しも誇張がないことは、すぐに判ります。顕幽両界の関係は、案外密接なもので、そして地上世界に起こる一切の事件の原因は、皆霊界にあります。天変地異でも、戦争でも、殺人でも、喧嘩でも、その他いかなる事柄でも、その原因が、ことごとくまず霊界において醗酵《はっこう》醸造《じょうぞう》され、やがてそれが形を決めて、物質界に現れて来るのです。預言などは、つまりこれを狙ったもので、正しい霊媒なら、しばしば事前にピタリと図星をさして、誤らないゆえんです。

 それはともかく、幽界がすべての発信地であるとすれば、幽界居住者の道具である霊媒が、時として飛んでもない乱暴を働く場合もあるわけです。幽界には飛び抜けて優れた善霊もいますが、同時にまた、箸にも棒にもかからぬ不良霊も、ウジャウジャしています。その点、地上とはとうてい比較にならぬ程で、普通の人間は知らぬが仏で、平気な顔をして過ごしていますが、もしも幽界の妖怪変化、魑魅魍魎などが、すべて目に見えようものなら、とても耐えられるものではありません。私の体験からいえば、それらの中で一ばん人体に憑り易く、そして一ばん初心の審神者をてこずらせるのは、闘志満々の野天狗……つまり浄化の程度の低い自然霊で、一たび彼らの感情を損ねでもすると、彼らはその場に有り合わせの棍棒なり、武器なりを振りかざして、審神者に打ってかかることが決して少なくありません。

 私の体験した中では、Y海軍大佐(現在は大将)に憑って、私の頭を殴りにきた豪傑肌の天狗、またKという実業家に憑って、ピストルで私を撃とうとした気狂い天狗などが、乱暴者の良い見本だったでしょう。いずれも私が審神者としてまだホヤホヤの、大正七〜八年頃に起った出来事で、当時を回想すると、今でも私はあまり良い気持ちはしません。何しろ一つ間違ったら、当然気絶ぐらいは免れない仕事、ことによると、生命までも投げ出さねばならぬ仕事なのですから。

 私は今さら、当時の実例を子細に数えたてる興味も、ヒマもありませんが、ただ審神者として、こうした際に、私が常に厳守する心構えだけは、一応ここに申し上げておきたいと思います。これを一言にして尽くせば、それは純真たる捨て身の構え、つまり万事自分の背後に控えている霊団の加護にゆだねて、人為的工夫や、抵抗を試みない鋼《はがね》の信念です。私は審神者の資格には欠ける点が非常に多いのですが、ただ心霊実験の座に座った瞬間に、この捨て身の構えをとることだけは、いつも忘れないように心がけています。私が下手ながらも、現在まで大したケガや過ちもなく、無事に生きていられるのは、ひとえにその賜物であると確信しています。乱暴な霊が現れて、私を殴ろうとしたり、切ろうとしたりする時に、私はいつもただ観念の眼を閉じて、端座《たんざ》しているだけです。そうすると不思議なことに、私の身体は、目に見えぬ鋼鉄の楯か何かに包まれたように、棒でも、刀でも、ツルツルその外面を滑り、決して身体には触れません。もし間違って、先方が私の身体に手先でも触れたら最後……そんな事も一〜二度ありましたが……被害者は私ではなく、いつも先方です。何となれば、そんな場合の私の身体は、あたかも充電されているかの如く、たいへんな衝撃を相手に与えるらしいからです。今は故人になりましたが、I陸軍大佐などが、入神中に私に突破を試み、そのはずみで、私の組んだ指先に軽く片手を触れた一人ですが、その際非常な痛みを感じたばかりでなく、その後一週間ばかり、神経痛のように、骨が痛んで困ったとこぼしていました。

 霊縛なども、そうした際には実に見事に決まります。あまり相手がいつまでも暴れ散らして、うるさくて仕方がない時に、私はツイむらむらと「こいつ一つ縛ってくれようか」と思います。そうするとその瞬間に、相手はあたかも目に見えぬ針金で縛られでもしたように、悲鳴をあげてひっくり返ります。そこには何らの法術もなければ、呪文もない。ただ心に念じれば、それでよいのです。ただし何ら霊縛の必要のない場合に、冗談にこれを試みようとしても、さっぱり駄目です。

 ここで一つぜひお断りしておかねばならないことは、右に述べたところが、全然私の自己流であることです。いろいろ行っているうちに、自然に体得しただけのものです。したがって私には、ぜひ私の真似をせよと強いて他人にすすめるつもりは全くありません。ことによると、他にもっと優れた、良い方法があるかも知れませんから。

 現に審神に際して、私が守る心構えにしても、必ずしも、全ての人の賛同を得ることが出来るか否かは疑問です。ある人などは「常住坐臥《じょうじゅうざが》(訳注:座る時も寝る時もいつでも)、自己が神だと悟らねばダメだ」と仰います。なるほどそこまで、真に心の底から確信することができたら、まことに結構でしょう。それが口先だけの空理空論でなかったら、実に立派なもので、その人は立派に“物質世界”学校の卒業生です。が、自分の不完全な現在の姿を省みる時に、私にはとても気がひけて、心からそんな気持ちにはなれません。現在の私に、かろうじて出来ることは、自分の守護霊、また国家の神々の懐に、安心して自分自身を委ねることだけです。それが良くても悪くても、私はただそれだけの人間なのだから、いかんともしがたいのです。真に衷心《ちゅうしん》から……たとえ大地震や火災の真っ只中にあっても、また白刃《はくじん》の真下にあっても……泰然自若《たいぜんじじゃく》として「我は神なり」と取り澄ましていることの出来る方々であるなら、もちろん私の取りつつある心構えなどは、一笑にふされて結構です。……あまり長くなりますので、今回はこれで失礼します。(四、八、七)


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