心霊学研究所
『欧米心霊旅行記』浅野和三郎著
(10/07/99登録)

第一信(2)
門司まで


 

 そよとの風もなく、すっかり晴れ渡った瀬戸内海の夏の航海----およそ世の中にこれほど愉快な、これほど呑気な、これほどゆったりした気分に恵まれる機会は、めったにないに相違ありません。私は一通り荷物を整理した上で、さっそく上甲板の運動場に出てみましたが、イヤ船首からまともに吹きまくる風の清さ、すずしさ。おまけにそれがたっぷり潮気を含んだ海風ときているので、最近私を悩ました胃腸の故障などは、ものの五分とたたぬ間に跡形もなく吹き飛ばされてしまい、旺盛な食欲が、むくむくと頭をもたげ、晩餐の席につくのが、むしろ待ち遠しく感じられるぐらいでした。

 最初乗船したときには、少しも気がつきませんでしたが、間接直接に私を知っているものが、二人も居たのには驚きました。一人は明治大学の教授のI氏で、その人は船内まで見送ってくれた岡田さんから紹介されました。同氏は岡田さんを通じて本誌にも親しんでおり、またその中学時代には、私の翻訳した『スケッチ・ブック』を愛読した一人だということでした。私が『スケッチ・ブック』を訳したのは、やっと大学を終えたばかりの二十代の時で、当時の風潮につれて、極度の美文調の装飾をほどこし、今から見れば、少々くどいところがありますが、あの翻訳を通じて、私に対する学生時代のなつかしい記憶を有するものが、何万人かにのぼるらしく、『あなたのお陰で……。』などと間断なしに、各方面の人達から挨拶を受けます。よっぽど私という人間は、この書物と深い縁があるようです。もっとも私という人間が、同書の著者のワシントン・アーヴィングという人物に、多大な愛着心を持っていることは事実です。古来文筆の士で、恐らくあの人ぐらい円満な人格の所有者はめったにいません。

 もう一人、思いがけず、バイカル丸の甲板で、背後から私を呼びかけたのは、実業家のA氏でした。
 「あなたは浅野さんでしょう?」
 「ハア」と私は返事をして、その人を振り返りましたが、見覚えのある顔ではあるが、その名前が何で、また何処で会ったのか、ちょっと思い出せません。
 「失礼ですがどなたでしたかな?」
 「わたしはA----です。約十年前に、篠原君と一緒にお宅を訪問したことがあります……。」

 それを聞くと同時に、私の記憶は電光の如く呼び戻されました。なるほどそれに相違ありません。

 私とA氏との対話は、それからそれへと甲板の涼しい椅子の上で限りなく続きました。私は、A氏の実業界に於ける大変な成功と、またその遠大なる計画とをきいて、多大な感銘を受けました。氏は年齢は未だ不惑に達さないというのに、世の中の大勢に精通して、眼光常に一頭地を抜き、東亜のため、また日本のために画策経営するところ、ドウあっても、ひとつの霊的閃きを認めねばなりません。氏が毎日平均三時間の睡眠しかとらず、汽車の中と、船の中とが、唯一の休養の場であるというのを見ても、その非凡な精力の一端を察知するに十分でしょう。

 が、氏にあって特に私の感興をひいた点は、氏が心霊また信仰に、十分な理解を持っていることで、私もつい釣り込まれて、私の年来の持論を披瀝し、今後世界の日本国として、是非とも進まねばならぬ方針について説くところがありました。

 「信仰問題が実際問題と離れ、また学術研究と離れるようなことでは全然ダメだ。事実があるから信仰の基礎ができる。実力があるから大衆が動く。二十世紀の人々は、教典や教祖の受け売りにはモウ食傷している。仕事をさせれば常人以下、説教させればただ受け売り。方法論もなく、抱負もなく、徳性もなく、また手腕もなく、ただ愚民の財産を伺うだけの芸当しかない、職業宗教家が何になる? われわれの祖先は、霊的に優秀な思想と、実力の二つをかねそなえて、立派に世界無比の日本国体を、地上に建設することに成功したではないか。いうまでもなく、われわれは単にこれを賞賛し、継承するだけでは足りない。二十世紀の世の中には、二十世紀の仕事がある。私が今まで十余年を心霊研究についやしたのは、一方で学問的に、霊的問題を基礎づけて、日本国民の思想信仰を、正しい軌道の上に引き戻すと同時に、また実際の仕事を処理する上において、優秀な直感の指示によって無益な損害、無用の努力を省かんがためであった。もちろん、私はあくまで理性と常識とを尊重し、あくまで科学の権威を認める。それは言うまでもない話だ。----が、それが人間のすべてではない。人間の霊魂は、肉体から離れるほど、より一層能力を発揮する。それがいわゆる霊智であり、霊覚である。不純分子の多いヘボ霊覚は、無い方がよっぽどましだが、優秀な霊覚は、いかなる徹底的な試練にもたえる。わたしの手元にも、そろそろ役に立つのが出てきた。断っておくが、人間は万能の神とは違う。一人で何もかもできる、何でも屋的霊覚者などは絶対にない。皆それぞれ分業だ。この点をよく承知して、夢にも、たった一人のバケモノを神輿(みこし)としてかつぐような、原始時代の馬鹿な習慣に陥ってはならない……」

 こんなことをきっかけに、ある一つの問題について、私の意見を吐いてしまいましたが、それにはA氏も諸手をあげて賛成し、堅く協力を誓われたのでした。

 晩餐の席でも、またいつしか心霊問題に花が咲き、I教授、S博士、その他を相手に、九時頃までしゃべり続けてしまいました。近頃どういうものか、心霊問題が人々の注意を引いてきたらしく、以前のように空しく冷殺されたり、罵倒されたりすることが、ほとんど絶無になって来ました。何にしても結構な傾向だと思います。(三・七・十二・バイカル丸にて)

 


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