付録 国際スピリチュアリスト会議(International Spiritualist Congress)の概況
四、雑感
第五日目(火曜)、第六日目(水曜)、共に三部門に分かれての論文朗読で、マァルコールリ教授の『再生説』、スタンレー・ドブラス氏の『スピリチュアリズムの哲学』、ウォーレス博士の『スピリチュアリズムの先覚者達』と題する写真講演、オーテン氏の『エクトプラズム』等、いずれも傾聴に値するものでしたが、これらは機会を見て紹介することにしましょう。いよいよ最後の第七日目には、大会の間の決議事項の報告やら、感謝の交換やら、お別れやら、朝の十時から夜の十時まで、終日多忙なる一日が暮れて、国際スピリチュアリスト会議の幕は下りました。ちなみに三年後の大会は、オランダのハーグで開かれることに、この日決定しました。 こんなふうにアッサリ書いてしまうと、いかにも簡単なことだったようですが、実際の七日間は、私にとって相当骨の折れる、その上極めて有意義な七日間でした。 何よりこの大会に列席して有り難いと思われることは、海外の主要な国々の研究団体、ならびにその代表的人物との関係や連絡が、はっきり出来たことでした。今までにも書物や雑誌で、ある程度のイメージは出来ていましたが、さて書物で見るのと実際に接触するのとは、その間に格別の相違のあるもので、しかも自ずと深みが違います。たった七日間の会合や交渉で、これで十分とはいきませんが、それでも世界のどこへ行っても、決してマゴつかぬ程度の目処は立ちました。その結果は大会終了後にさっそく現われ、ロンドン付近だけでは収まりがつかず、グラスゴーへ行ったり、マンチェスターへ行ったり、クルーへ行ったり、遠くはまたパリへも、ジェネバへも、北米合衆国へも立ち寄らねばならぬようなハメになりました。もとより今回はホンの下調べで、今後において、二度も三度も出直す必要は起るでしょうが、とにもかくにもスピリチュアリズム、ならびに心霊研究に対する十分な手がかりが付いたように感じられます。やはり何ごとを行うにも、最後は人格と人格とのぶつかり合いでなければ、正真正銘の仕事はできません。この点において今回の大会出席は、、私にとってこの上もなく有用なものでした。 これに劣らず、この大会が私に与えた最も切実な教訓は、少しでも早く日本国の精神的統一を図らねばならぬということでした。日本には仏教もあり、儒教もあり、道教もあり、またいろいろ東洋思想も入っていますが、それらは要するに、日本人の肉であり衣装であって、日本人の精神・神髄ではありません。外来の借り物でなしに、日本の土から、日本人の血から、真に湧き出たものといえば、結局日本固有の神道以外に何物もありません。これによって日本国が出来上がり、これによって日本国民が生きてきたのですから、日本人が神道をけなすことは、取りも直さず自分自身をけなすことで、その人は、精神的に立派な自殺をしているのです。神道を生かすも殺すも、深くするのも浅くするのも、その責任は、われわれ日本人自身の責任であり、他の誰の責任でもないのです。今までは世界の人類が、十分な精神的訓練を受けず、宗教的偏見だの、先入的妄想だの、国民的、地方的感情だののために左右させられ、下らぬ水掛論をして、多数を頼みに横紙を破るような傾向がありましたが、幸い世界の識者は、ようやく今までのやり方が非常に愚かであることを悟り、誠心誠意、真理の追究に向かって猛進するようになりました。心霊研究だの、スピリチュアリズムだのというものは、そうした時代の貴重な成果です。こうなった暁《あかつき》に、ようやくその真価を認められ出したのが日本の神道です。「日本にはあんな貴重なものがあったのだな! 道理で日本という国は、不思議なことをする国だと思っていた」----これが世界の知識人の日本に対する実際の感想です。不肖私の如きものが、少しばかりスピリチュアリストの間で注目の的となりつつあるのも、単にそうした関係があるからで、言わばこれら祖霊の恩恵に他ならないわけです。このような次第ですから、日本国民としては、この際大いに神道に関する教義の整理、ならびに神道の実際的修行の大成に、全力を挙げるのでなければ、世界に対して申し訳がないばかりではなく、またわれわれの祖先に対して申し訳がない次第です。こういう時に最大の禁止事項は、独りよがりの空威張りです。科学的追求と、哲学的または論理的検討とに耐えないような、ヘボ議論やヘボ霊訓は、となたもさっさと水に流し、あくまで正々堂々の陣容を以って、お互いに一致協力して、世界に向かって日本固有の神道の真価を発現することに、全身全霊を捧げるべきです。そうすれば、近代心霊研究とスピリチュアリズムとは、喜んで我らを迎えてくれます。世界にそうした友人はいくらでもいるのです。精神的に日本国が目覚めるのは、本当にこれからで、最近二千年来の日本国は、言わばその下準備に従事しつつあった、学校の生徒のようなものです。学生時代には受け売りも止むを得ますまいが、もうこれからはダメです。「これが私たちのやり方です」----そう世界に宣言し得た時に、日本国は精神的にも、初めて世界に重要な一席を占めることになるのでしょう。(三・十・二)。 |